ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(29)夜明けのバンビエン。

裏側は米軍の元飛行場があって、その先の山の端から今丁度旭が昇るところだった。
 
 
 
朝霧の中、ジャール平原の彼方から旭が昇って来る。
 
 
 
西側のベランダに出ると、昨日登った山が丁度朝日に照らされている。
 
 
 
この町の中心にあるホテル。良い眺めだ。
 
 
 
もう一度東側に廻ると、朝霧に霞む太陽、これも又幻想的な光景だ。
 
 
 
夜明けとともに、托鉢僧が街中に出てきた。
 
 
 
 
バンビエンについては以前このブログで紹介したかも知れないが、改めてこの町について紹介すると、1970年代、ベトナム戦争激化に伴い、その戦乱は周辺国のカンボジアラオスにまで波及し、ラオスは内戦状態になった。南ベトナムに加勢している米軍は、これ等共産勢力に対抗する為、タイのウドンタニやコンケーン等に空軍の飛行場を作り、カンボジアベトナムへの空爆を繰り返していた。ここラオス国内に於いてもこのバンビエンに空港を作り、ラオス国内の共産勢力、即ち、パテトラオ等のゲリラを空から叩き、共産勢力を一掃しようとした。この町はそうした背景の中で、今から40年程前のベトナム戦争時に新たな町として生まれたのだった。

朝、4階の部屋で目を覚まし、昨日の夕日が見えた側と反対側のベランダに出ると、目の下にその当時の飛行場跡がダートの広場のように残っている。ただ土でできただけの細長い運動場のような形で、そこには管制塔もなく、兵舎もなく、建物は何もないので、そうした事実を知っていないと、ここが米軍の元飛行場だったとは直ぐには分からなかっただろう。旭日がその元飛行場の先の山の端から登って来る。山の向こうがジャール平原だ。

再び昨日の街の側のベランダに出ると、丁度朝日が昨日登った山の辺りを明るく照らしている。山に囲まれた町に陽が昇るのだ。それを合図に、夜明けと機を一にするように、オレンジ色の袈裟を着た僧侶が並んで街中にやってきて、托鉢を始める。ああ、ここはラオスだ。タイのお坊さんよりより宗教的で、修行に熱心かも知れない。さて、自分も食事を取ることにしよう。今日はこれからどこへ行くのかまだ決めてはいない。しかし、先刻飛行場の先の山の彼方から朝日が昇るのを見て、そう、その朝日の出るところ、ジャール平原に行こう。
 
 
 
 
ああ、ラオスはタイよりも宗教心が深いかも知れない。
 
 
 
朝食を食べに町に出るが、レストランが見当たらない。
 
 
 
当方が昨夜泊ったMalanyHotel.
 
 
 
ホテルのロビーに各方面へのバス路線が書いてある。そうだ、ジャール平原に行こう。
 
 
 
サンドイッチ風の朝食を買って、ベランダの4階で、町を見ながら食べる。
 
 
 
ああ、ラオス語、タイ語が分かるから何とか読めそうだ。「ハームスープヤー」と書いてある。ここではタバコは「ヤー」、「薬」の一種なんだ。