ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(96)ルアンナムター、丘の上の「奥の院」と五族融和の像。

パゴダの裏に廻ってみる。
 
 
 
パゴダの丁度真後ろに祠堂のようなものがあって、その前に寝釈迦佛が横たわっている。
 
 
 
ああ、祈祷所になっている。これは日本の奥の院と同じだ。
 
 
 
 
 
ああ、矢張り中に祀られている佛もインド伝来の仏とは違っているようだ。民衆の中の仏だ。
 
 
 
ああ、この町の地霊神かも知れない・・。
 
 
 
 
 
丘の上の大きな仏塔をぐるっと回っていると、丁度真後ろに当たる部分に祠のようなものが見える。その祠の前には大きな寝釈迦物が横たわっている。ああ、日本で言う「奥の院」だ。本堂の後ろの更に奥まった所に、その寺の創始者や創建者の聖人を祀る「奥の院」。今までタイやカンボジアではこの様な二層構造の祠堂を見たことはなかった。ルアンパバーンのルーシー山のタートチョムシーの本殿の裏側にも小さな祠があった。こうした二層構造はラオスでは特別なことでは無いのかも知れない。

祠の近くまで行くと、ここはオープンになっていて、中に祀られている仏様が正面に見える。ラオス語は殆ど理解できないが、仏像の顔立ちとか雰囲気を察するに、矢張りここは日本で言う「奥の院」だ。正面に坐す聖人は、この町、ルアンナムターの守護神かこの寺院建立に重要な役割をした人に違いない。その仙人ヒゲは、インド伝来の仏とは異なるものであり、日本で言えば、何か地霊神を祀っているようなもの。日本の仏教が日本固有の地霊神や神道と習合し、本来のインド、中国仏教から多少変質しているように、このラオスに於いても同じような現象があったのか・・。

最初この寺にやってきた時、正面の黄金色に輝くパゴダに気を取られ、パゴダ前面に飾られている少数民族の飾り物には気が付かなかったが、裏の祠堂にお参りし、日本人とラオス人との宗教観が、「奥の院」の共通の存在で、何か深い結びつきがあるように思えてならなかったが、正面に廻り、この寺を後にする段階になって、寺院の入導口、参道と言ってよいかも知れないが、この寺院の前面に六体の民族衣装で彩られた少数民族の像が立っていた。これは珍しい。仏教寺院にこうした民族衣装を着た参詣者の像が。

五族協和。この六体のカラフルな木像を見て、つい満洲五族を思い出した。色々な民族が合わさって一つの国を作る。国家、宗教に人種、民族の違いはない。融合し、協和して一つの社会を作る。その社会の強い絆として宗教がある。ここに集まる人々は、民族の違いを越えて平等だ。パゴダの前に並ぶ六体はそう訴えかけているように思えた。この木像を通し、その先に広がるルアンナムターの町は、平和に満ちていた。
 
 
 
 
パゴダの正面に廻ると、何かカラフルな像が立っている。
 
 
 
ああ、これは少数民族の木像だ。
 
 
 
少数民族も仏教に帰依しているという印か・・
 
 
 
多民族国家ラオスに於ける五族協和、五族融和の象徴だ。前方にルアンナムターの町とラオスの山が見える。
 
 
 
 
今日は奥の院と五族融和、珍しい二つのものを同時に見ることができた。