ちゃおチャオブログ

日々の連続

相模国分寺跡を往く。(4)資料館を見て「国分尼寺」へ。

史跡「相模国分寺跡」の前には、海老名市運営の歴史資料館があった。
 
 
 
 
 
 
無料且つ写真可というのが嬉しい。
 
 
 
ああ、1300年前の相模国分寺のジオラマだ。
 
 
 
この辺は段丘高台になっていて、川にも近く、縄文、弥生の昔から人々が住んでいたようだ。
 
 
 
 
ああ、火炎土器に似たような形の土器もある。
 
 
 
土器から土師、勾玉の時代から、人々はヒスイ、水晶、等の装飾品に目が向くようになってきた。
 
 
 
 
海老名は実に味わい深い町である。人口は何人か知らないが、高さ30階を越えるような超高層ビルがあるかと思えば、1300年前の歴史を留める史跡公園などもある。いや何、実は国分寺跡地の前にちょっとした資料館があり、国分寺が創建される以前の縄文、弥生時代の発掘品や、この国分寺関連の遺物等が展示されているのだが、入館料が無料で、然も! 写真撮影がOKなのだ! この町がいっぺんに好きになった。

日本の多くの博物館、資料館などでは、大概が撮影禁止で、展示物を眺めても写真に撮ってないと、暫らくすると記憶から抜け落ちてしまう。外国では、撮影OKの館も多く、そうした時は嬉しくなるのだが、この海老名の資料館がそうだった。こうした古物、遺物、発掘品などには著作権も無いのだから、どんどん撮影させたらよいと思う。

その海老名歴史資料館を気分よく回り、次に「国分尼寺」へ行くことにした。通常「尼寺」は「国分寺」の直ぐ近くに併設されていて、そう遠くには離れていないものだが、付近の人に聞いても良く知らない。そうかこの丘全体が最近のここ数十年の間に開発され、移り住んでいる住人も新しい人が多いのだろう。歴史に関心を持っていなければ、幾ら近くにあると言っても、行ったこともなければ、知りもしないだろう。「ニジ? ニンジ?」と、初めて耳にしたような聞き方だった。やむを得ない、足で探すしかないか・・。

1000年前の昔だったら丘陵地。林の先に一段高いお寺の屋根が直ぐにも見つかっただろうが、今は建て混んでいる2階家の屋根が視界を塞ぎ、どこがどうかも分からない。ただ、お寺の後ろには小高い山もあり、それは丁度武蔵国分寺と似たような情景だ。兎も角この稜線に沿って歩いて行けば尼寺にはぶつかるだろう。

いろいろ住宅地の中の道路を歩いたりして正確な距離は掴めないが、距離的には武蔵国分寺と尼寺との間隔と同じ程度か。間にJRの鉄道が走り、この二つを分断しているのも似ている。「尼寺」は市営アパートの裏の住宅地の中にあり、昔はここも広大な敷地を持っていたのだろうが、住宅等に浸食され、今はそれ程広くもない跡地の中程に、庚申塚とお堂が残っている程で、僅かに基壇の跡らしきものが残されている位だった。
 
国分寺との落差に消沈したが、成程、これでは付近の住民も関心を持たないのは理解できた。この相模尼寺と比べると武蔵尼寺は綺麗な史跡公園に整備されていて、心豊かにさせるものもあったが、ここ相模尼寺は、むしろ歴史の哀れさを感じさせるものであった。
 
 
 
 
相模国分寺跡地から大分離れた場所に国分尼寺があった。
 
 
 
国分寺と比べるとここは十分の一位の広さか。
 
 
 
道祖神のような庚申塚のようなものがある。
 
 
 
尼寺の御堂には何が祀られているのだろう・・
 
 
 
御堂にお参りし、駅に戻る。
 
 
 
国分尼寺・金堂跡の解説文。
 
 
 
律令時代の日本。国家を鎮護し、平安を願い、未来に夢があった。