ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(118)チェンライ、街の中の列車図書館。

「ワット・ムン・ムアン」寺の葬儀は見ないで、寺を後にした。
 
 
 
「ワット・ムン・ムアン」寺の葬儀は見ないで、寺を後にした。
 
 
 
日本でも見るような花が咲いている。
 
 
 
どことなく、むくげの花に似ていなくもないが・・
 
 
 
 
「สำนักงานอัยการ 」(サムナックガーン・アイヤガーン)と出ている。ああ、この地方の検察官事務所(検察庁)だ。
 
 
 
北部少数民族の中にはキリスト教徒も多い。こんなタイのお寺風の教会もあった。
 
 
 
 
 
イタリア風に言えば、ネオロマネスク風の飾りの多い寺院を出ると、この辺りはチェンライ市の行政の中心部になっていて、如何にもタイ風の役所が幾つか並んでいる。最初に見えたのが「チェンライ郡検察庁」(สำนักงานอัยการจังหวัดเชียงราย・サムナックガーン・アイガーン・ジャンワットチェンラーイ)の看板が出ている。「อัยการ」(アイガーン)は「検察官、検事」の意味だ。

近くにはタイのお寺風のキリスト協会もあったが、北部山岳民族、少数民族の中にはキリスト教徒が多い。 最初から西洋風の教会建物を作るよりは、タイのお寺に似せた教会を作ったほうが、地元民には受け入れやすいのだろう。丁度450年程前最初に日本にやってきた宣教師が、日本のお寺に似せた教会を作ったのと発想は似ている。全くの異文化が受け入れられる為にはそれなりの下地も必要とするのだろう。

ちょっとした広場に出る。ここの広場の端にはTourist Informationがあり、何人かのモデルさんのようなタイ美人が案内役をしていたが、そのオフィスは今も同じ場所にある。この通りをちょっと行った先に「山岳民族博物館」があり、そこの映写室には英独仏に混じって日本語の吹き替えビデオも映写されていたが、以前見たので今回はやめて置く。

広場と行っても田舎の小学校に運動場程度の広さのものだが、その正面には市役所の建物もある。「ศาลากลาง」(サーラークラーン)、「市役所」のことだ。この建物は「พ.ศ. (ポーソー)2553年」に建築されている。う-ん、と。佛歴か・・。 西暦に直すのは確か543年を差し引けば良かった。とすると、2010年築か・・。まだ出来てから3年も経っていない。とすると、5年前には、この場所には古い建物があったのか・・。

その横には列車なども展示されている。バンコクからの鉄道はチェンマイまでしか伸びてなく、この町にまでは来ていないが、市としては延伸を望んでいるのか・・。それにしては、日本の誘致運動にあるような幟とか、垂れ幕、プラカードみたいなものが見当たらないが・・。そうか、鉄道を余り見たことのないこの町の人の為に、チェンマイ特急の車両を持ち運んできたのか・・。

中を見てみようと、近づいて見ると、列車の胴体に「ห้องสมุด」(ホーンサムット)と書いてある。ああ、図書館のことだ。列車の図書館! これは又タイ人らしい発想だ。日本にはバスを改造した移動図書館もあるが、ここチェンライでは、動かない列車図書館か・・。中に入ると壁際に蔵書が並べられ、又、小さなテーブルにはパソコン画面なども並べられている。静かな車内で、何人かの青少年が本を読んだり、パソコンをいじっている。当方も空いている席に座り、この静かな雰囲気を楽しんだ。
 
 
 
 
ああ、ここはチェンライの市役所だ。佛歴2553年に建設されている。まだ3年前のことだ。
 
 
 
「ศาลากลาง」(サーラークラーン)、市役所の意味だ。
 
 
 
あ、あんな所に列車なども置かれている。
 
 
 
ああ、「ห้องสมุด」(ホーンサムット)、列車の図書館だ!
 
 
 
 
ああ、列車を改装して、良く出来た図書館に生まれ変わっている。
 
 
 
クーラーの効いた静かな空間だ。自分もここで少し一休みしよう。