ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(119)チェンライは文化芸術の町。

チェンライ市内の街路図。全体的に小さな町だ。
 
 
 
街のあちこちにこうした寺院などが見られる。
 
 
 
建物の前に立つ仏像。
 
 
 
ああ、ここは菜食専門のレストランだ。「อาหารเจ」(アーハーン・ジェエ)と書いてある。「เจ」(ジェエ)は中国語の「斎」から来ている言葉。「斎食」、ベジタリアンのことだ。
 
 
 
ああ、ここは又衛生的なレストランだ。
 
 
 
あはーん、「ทุกประเภท 」(トクプラペート)と書いてある。あらゆる種類か・・。5バーツから25バーツ、15円から75円か・・、安いなあ・・。
 
 
 
セルフサービスだが、中は日本のレストランよりも衛生的に見える。
 
 
 
 
チェンライはこじんまりとした良い町だ。大体どこへでも歩いて行けるし、街のあちこちに文化的香りもする。それは北のミャンマーラオス、中国に近く、周辺の少数民族なども多数生活していて、そうした文化がミックスされているのかも知れない。今でこそタイの一地方都市に過ぎないが、20世紀初頭、チェンマイにあったランサーン王国がタイ王国に併合される以前、この町は王国の副都であり、王都がチェンマイに移る以前の首都でもあった。

何かの物の本かガイドブックに、この町を称して「北のバラ」とか「北の真珠」といった美しい名前が名付けられていたが、それは又チェンマイとの混同もあるかも知れないが、街のあちこちにランサーン様式の見栄えの良い寺院が建っていて、町に潤いを与えている。これから行く予定の「ワット・プラケオ」(วัดพระแก้ว)、これはバンコクにある「エメラルド寺院」の正式名称でもあるが、この町にも同名の王宮寺院があり、それは即ち、今現在バンコクの同寺に祀られている「エメラルド佛」(พระแก้วมรกต・プラケオ・モンラゴット)は、 以前はチェンライのこの寺で祀られていたものであったが、それが戦乱等で一時ラオスに奪われたのだが、18世紀、現在タイの初代国王ラマ1世により、ラオスから奪還されたものだった。

そうした長い歴史を有する街、街路樹、辻辻の花壇、今日は時間が無く行く予定はないが、コック川に面した広大な花の公園、等々、この町は街を歩いているだけでも興味が尽きない。これから街の西の高台に建つお寺に向かう。その麓には1軒のゲストハウスがあり、5年前に立ち寄ったが、多分今でもその場所にあるあろう。街を散歩しながら、向かうことにした。
 
 
 
 
これはヤシに似ているが、何の木だろう・・。
 
 
 
赤い実のソテツはあるが、これも又ヤシの一種だろ。
 
 
 
ああ、これは又何の実だろう・・
 
 
 
この茂みの向こう側にコック川があると思うが・・。
 
 
 
ああ、コック川に流れる支流が見える。
 
 
 
良い川べりだが、ここから行くのは大変だ。この次の機会に取っておこう。