ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(122)丘の上の寺院「ワット・ドイ・ガンムアン」の木彫。

長いナーガの石段を登った上には新しい門が作られていた。
 
 
 
随分と凝ったデザインの門だ。
 
 
 
ああ、この彫刻は細密で素晴らしい。
 
 
 
何か遠目にはエジプトのオベリスクを思わせた。
 
 
 
はああ、これは石ではなく木材、木柱だったのか・・
 
 
 
 
 
チェンライ西郊の丘の上のお寺「ワット・ドイ・ガマン」(วัด ดอย งำ เมือง)に上ってみた。5年前と変わらぬ長い石段を上り詰めた最上には、以前と変わらぬ寺院の本殿と、くすんだメンラーイ王の銅像が建っていたが、目を驚かされたのは、新たに建造された石柱であり、正門の両側に整然と並んでいて、細かく彫刻を施された柱は遠目からも実に芸術的なものと思われた。

本殿にお参りした後、改めてその石柱に近づき、仔細に眺めると、何とそれは石ではなく、まっすぐな太い大木をくり抜き、その全面に立体的で厚みと陰陽のあるレリーフ状の彫刻がされたものであり、インドの叙事詩、ラーマヤーナを主題にしているような、物語風のものだった。同じような石の彫刻を中国各地とかベトナムのユエで見て来たので、ここのも当然石造かと早合点していたが、そうではなかった。

成程タイは石材よりも木材の方が豊富だ。樹齢何百年と言うマホガニー紫檀黒檀を今でも多く産出してるだろう。とすれば木材の方が合理的だ。しかも、栴檀紫檀黒檀の様な蜜の濃い大木は、石程長持ちしないとしても優に数百年の寿命はある。しかも、石と違って着色も容易だ。今は無垢の彫り物かも知れないが・・。

色々な人の表情、動物の動き、神への敬い、平和の祭典。叙事詩ラーマヤーナの内容は、殆ど名前位しか知らないが、この何本も並ぶ木柱は、その物語を表しているようだった。「心に平和を抱くものは幸せである。」、「ผู้ส่งบใจ ได้ยอมเป็นสุข」(プーソンボーチャイ ダイヨームペンスク)、≪บใจ・ボーチャイ、はイサーン語で無私の心、何も無い心、の意≫、「One who can maintain pease of mind is happy.」

この木柱の物語の究極は、その目指す所は、ここに言う「心の平安」かも知れない。長い石段を下り降り、ナーガに見送られてこの寺を辞去した。
 
 
 
 
しかしそれにしても立体的な素晴らしい作品だ。
 
 
 
うーん、ラーマヤーナの物語か・・
 
 
 
この寺には元々このような石造のストウパもある。
 
 
 
タイ語で「プーソンボーチャイダイヨーム ペンスク」、下に英語で「One who can maintain Pease of maind is happy.」と書いてある。「ボーチャイ」(บใจ)を調べるとイサーン語で、「無私の心」とあった。
 
 
 
長い石段のナーガ(龍)に見送られ、この寺を辞去した。