ボロブドールの五段の基壇には、びっしりと彫刻が施されている。
以前は土に埋もれていた遺跡も、ユネスコの援助で掘り起こされ、修復されている。
ヒンドウの歴史、叙事詩が分からないので、何を表現しているのかは理解できないが・・
仏教遺跡によって、2500年の仏教説話は連綿と引き継がれている。
結跏趺坐。歴史上の人物に違いない。
アショカとか仏教を庇護した王族などが彫刻されている。
基壇の各部をぐるりと取り巻いている。
これだけの大須弥壇を造ったボロブドールの王国は、僅か半世紀で潰え去った。一時は版図をアジア大陸の一角にまで広げ、さしも豊かな財政基盤があったとしても、この須弥壇を飾る夥しい数の彫刻をみれば、果てしない費用がかかったであろうし、湯水のごとくに使われた国庫金は、うたかたの泡のごとくに消えて行ってしまったに違いない。先刻の「諸行無常」ではないが、すべての物は流転し、変異し、留まるところを知らない。王国は潰え、ジャングルに覆われ、そして今夥しい数の彫刻が残された。
仏教の失われたこの国に於いて、これ等の彫刻を読み解き、読み明かす仏教学者はいないだろう。日本やタイの宗教家、歴史家で、誰かが取り組んでいる、という話も聞いていない。頭頂からの帰り、これ等の彫刻絵巻物を見ながら、そんなことを考える。肉感豊かなインド的な彫刻だ。これ等の彫刻を見る限り、この王国を造った人々は、インドの系統を受けている、と言っても間違いはないだろう。元々ここに描かれているのは、古代インドの壮大な叙事詩なのだから。
先日、当方ブログへのコメントで、Inaさんから「麻耶夫人の脇の下から出生したお釈迦様の彫刻は見ましたか?」との質問があった。3か月前、自身がこのボロブドールへ行き、数々の彫刻を眺めた時は、そんな故事も知らず、仮に知っていたとしても、ガイドなしでその所在を確かめるのは到底無理なことであり、ただぼんやりと様々な構図の彫刻を眺め、下り降りるしか能は無かっただろう。
第1基壇、地表と接する場所の入り口には、一対のライオン像が置かれている。いや、獅子像と言った方が当たっているかも知れない。やや滑稽な感じのするインド風獅子像は、広くアジア世界に流布しているものだ。タイのシンハー、沖縄のシーサー、シンガポールのマーライオン、いや、そのシンガポールの「シンガ」自体が、ライオンを意味しているのだ。そして日本の神社仏閣にある「獅子」。この巨大な遺跡の入り口に置かれた獅子の石像を見て、密かな郷愁を覚えた。
仏教の失われたこの国に於いて、これ等の彫刻を読み解き、読み明かす仏教学者はいないだろう。日本やタイの宗教家、歴史家で、誰かが取り組んでいる、という話も聞いていない。頭頂からの帰り、これ等の彫刻絵巻物を見ながら、そんなことを考える。肉感豊かなインド的な彫刻だ。これ等の彫刻を見る限り、この王国を造った人々は、インドの系統を受けている、と言っても間違いはないだろう。元々ここに描かれているのは、古代インドの壮大な叙事詩なのだから。
先日、当方ブログへのコメントで、Inaさんから「麻耶夫人の脇の下から出生したお釈迦様の彫刻は見ましたか?」との質問があった。3か月前、自身がこのボロブドールへ行き、数々の彫刻を眺めた時は、そんな故事も知らず、仮に知っていたとしても、ガイドなしでその所在を確かめるのは到底無理なことであり、ただぼんやりと様々な構図の彫刻を眺め、下り降りるしか能は無かっただろう。
第1基壇、地表と接する場所の入り口には、一対のライオン像が置かれている。いや、獅子像と言った方が当たっているかも知れない。やや滑稽な感じのするインド風獅子像は、広くアジア世界に流布しているものだ。タイのシンハー、沖縄のシーサー、シンガポールのマーライオン、いや、そのシンガポールの「シンガ」自体が、ライオンを意味しているのだ。そして日本の神社仏閣にある「獅子」。この巨大な遺跡の入り口に置かれた獅子の石像を見て、密かな郷愁を覚えた。
一大叙事詩の世界。
この研究に一生を費やす学者が出て来ても不思議ではない。
漸く第一基壇に近づいてきた。
ああ、第一基壇だ。
出口付近にライオン像がある!
ライオンー獅子が出入口を守っているのだ!
やや滑稽な、ひしゃげた感じの獅子像ではあるが・・。