ちゃおチャオブログ

日々の連続

最悪のインド旅行記(48)Durga Puja例大祭。

今日は、西ベンガル地方の最大の例祭「Durga Puja」の日である。
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西ベンガルコルカタ地方最大の例祭で、1週間から10日ほど続く。
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小さな道路は通行が遮断され、人々はDurga神に礼拝する。
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Durga神。シバ神の妃で、悪を退治し、世の中に平和をもたらす。
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歩行者は道路に設置された祭壇の中を通り抜けて、反対側に出る。
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祭壇を飾り付ける人。
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インドは歴史も古く、多民族国家。さまざま多様な文化、芸術、古式、伝統が息づいている。その一つがDurga Pujaで、これはヒンドウ教徒にとって最大級の祭りの一つで、全国規模で行われる。この祭りは数日間にわたって行われ、数日前、最初にデリーに到着した初日にこの大例祭に引っ掛かり、予約していたホテルに辿り着けなかった、というアクシデントがあったが、云わばこの期間、大袈裟に言えばヒンドウ教徒は仕事を放棄し、道路を塞ぎ、祭りを最大に盛り上げる、と言った次第だ。

仏教を充分知る訳でなく、ましてやヒンドウの事など殆ど知らないに等しいが、このDurga神は女神で、ヒンドウ教の中の最高神シバ神の妃であり、悪を退治し、平和をよみがえらせる女神とされている。英国植民地時代、このベンガル地方独立運動が盛んになったが、それに呼応するようにこの祭りも盛んになり、ここ西ベンガルに位置するコルカタでは、今や最大のお祭りになっていると言われている。

通りを歩くと、通りのあちこちに大きな祭壇が設けられ、綺麗に飾られて、多くの果物やらお菓子、生活品やらが奉納されている。又、その前には丸椅子に座った何人かの男たちが談笑しているが、別にお酒を飲んでいる風はなく、手にしているのはインド紅茶、チャイの小カップが多かった。昔の日本で言う「寄り合い」的な雰囲気で、何を話す訳でもなく、ましてや議論などすることもなく、日がな1日のんびりと、Durga神とと共に過ごす一日を楽しんでいるかのようだった。

大通りの通行を止めるようなことはないが、車2台がすれ違う程度の小規模の道路では、道路の真ん中にこの祭壇が作られ、当然車両は通行止めになっているが、通行人はこの祭壇の中を通り抜けるようにして、反対側に行くことはできる。当方は知らん顔をして通り抜けるが、ヒンドウ教徒は通り抜ける際には祭壇の中央で一旦立止り、Durga神に礼拝し、通り抜けて行った。仏教で言う観音様やキリスト教のマリア様のような存在なのかも知れない。

タゴールハウスからはタクシーで市の中心部に戻り、こうした祭り会場の幾つかを見て回り、夜になるとこれまた色取り取りの電飾で飾られ、豆電球がチカチカ元気と活力を与え、爆竹と花火の中間なようなミニサイズの花火を打ち上げ、祭りを盛り上げる。インド人の盆と正月が一度にやってきたものかも知れない。邪悪を退治するDourga神、60数年前に勝ちえた独立は今もこうしてDorgaに託し、1年に一度の最大の祭りとして、人々の生活の場に溶け込んでいた。



Doruga神の前で楽器を打ち鳴らす人。様ざまだ。


夜には電飾も飾られ、小さな打ち上げ花火なども上げられる。
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町中総出でこの日の祭りを祝っているようだった。
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お土産に買って来た2枚のDoruga神。
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Dorugaとその親族。3女神。
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ヒンドウ教徒の女神、Doruga神。
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