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日々の連続

成都の3日間(26)諸葛孔明「出師表」。

武候祠の回廊の最後の方には、何やら長い文章の複製が展示されている。
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良く見ると、これは出師表だ。
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筆が達筆すぎて、何て書いてあるのか全く理解できないが・・。
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署名を見る。諸葛亮、・・孔明のことか・・。
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とすると、これは史上名高い孔明の出師表だ!
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何年か前、中国制作の「Red Cliff」という超豪華スペクタクルな映画が上映された。当方はこの映画は見ていないが、それから数年後、旅行で太湖へ行った時、無錫の郊外でこの映画の巨大な屋外セットを見た。太湖に浮かぶ3世紀の軍艦も見ることができた。「レッドクリフ」。即ちこれは「赤壁」のことであり、当時の三国志が舞台だ。赤壁はこの太湖の上流、長江をずっと遡った先にあり、それは南京武漢よりも上流に位置する。当時の3国、蜀と呉が連合して、魏軍を打ち破る水上の戦い、赤壁の戦いであり、呉蜀連合軍の指揮を執ったのが諸葛孔明だった。

ここ武候祠にある諸葛孔明の朔像を見る限りは穏やかな顔をしている。戦いに優れた猛将、智謀家との風貌はなく、どこか家柄の良さ、育ちの良い気品さを思わせている。手にした扇子1本で10万の兵を動かしたとはとても思えない穏やかな顔つきだ。更に回廊を進んで行くと、「出師表」がある!「出師の表」! 諸葛孔明劉備玄徳亡き後、王統を継いだその息子劉禅に送った彼の晩年の書だ。

この回廊には「出師表」の複製が2部掲示されていて、そこには「前出師表」と「後出師表」の2部構成になっている。「出師表」は古来より名文とされていて、孔明が魏との戦いに出陣するに際し、遺児劉禅に国のあり方を説いたものであった。表は4mを超える長さのもので、嘗て人々はこの書を読んで涙を禁じえなかった、と言われている。その孔明成都を出た後、魏との戦いに明け暮れ、数年後、洛陽近くの五丈原で病没した。享年53歳、劉備に遅れること10年後のことであった。それから間も無く、魏は蜀呉を下し、天下を統一したのだった、丁度その頃、邪馬台国卑弥呼が使者を魏に送ったことが三国志魏志倭人伝に記載されていた。



ああ、そうだ、間違いない。後出師表と書いてある。後半の方の表だ。
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こちらは、前出師表。ここで2部の出師表を見ることが出来るとは!
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これは又御影石に刻まれた武勲伝だ。将軍は誰だろう・・。
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ああ、全く歴史に疎く残念だ。理解できない・・
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全く3世紀の漢字の世界に圧倒された。綺麗な隷書だ。
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