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日々の連続

成都の3日間(28)武候祠の諸葛亮。

この先には、当該施設の中心「武候祠」がある。
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「武候祠」は諸葛孔明を祀った霊廟だ。
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劉備は、三顧の礼をもって諸葛を招いた。
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説明を行う添乗員の黄さん。
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この祠堂の前で同行の吉さんと記念撮影。
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武候祠は元々は諸葛孔明を祀った記念会堂である。各地に関羽を祀った関帝廟があるのと同様に、中国各地に諸葛を祀る武候祠が建てられている。その中でも、ここ成都のものが、最大と思われる。彼が生涯に亘って活躍した土地であり、最後にこの国、蜀の宰相として死んでいった。劉備関羽張飛の3義人に加え、この諸葛も成都人の誇りとする歴史上の人物なのだろう。本名、諸葛亮、字名を孔明と号す。山東省泰山の出身で、50歳をほんの少し出たばかりの若さで洛陽近郊の五丈原で亡くなった。

今前にある武候祠こそが、ここの施設の名称の基になっていて、本来の中心なのだ。今まで見てきた祠堂会堂は云わば継ぎ足しのようなもの。この場所に劉備の墓が造営され、それを守るように武候祠が建造され、更に、劉備蜀漢の臣の遺徳を顕彰するために、多くの乾漆像が作成された。

今まで数々の像を見てきた。観光する時間も短く、それこそ駆け足で回り、写真を撮るのが精一杯で、詳しく展示像の名前や解説文を読む時間もなかった。であるから、どれもこれも似たような像に見え、増してや中国の武将、日本の戦国武将ですらそれ程区別の付かない者の目には、誰が誰かは全く分からないのが現状である。幸いにこのブログにコメントを頂く成都在住の商社員アーロンさんや、成都の大学で教鞭を取っているKrzさんの造詣深いご指摘により、漸く理解できたような状態である。

いずれにしてもここは武候祠、中央に飾られているのは諸葛孔明であることには間違いなく、先刻の祠堂でも感じたが、実に品のあるお顔立ちだ。作戦、用兵の天才がこんな大人しい顔立ちとは! 彼の畢竟の戦い、赤壁の譜が思い出される。700年後、蘇軾が訪れた時は波も静かで名月が河面を照らしているのみだった・・。



ここに祀られているのは、紛れもない諸葛孔明だ。
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本名を諸葛亮という。紀元181年生まれの234年没。享年53歳。
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随分品のあるお顔だ。
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奥に又更に祠堂がある。
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この方は誰だろう・・矢張り諸葛の若い頃か・・。
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