ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(74)南越王博物館に入る。

南越王博物館、入館料が無料なのが嬉しい。入って直ぐにミイラの写真パネルが展示されているが、これが南越王か・・
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展示室は2階からで。最初の部屋は漢代中山王家の系図だ。漢代と言ったら、紀元前の話だ。随分古い。中山とは孫中山の中山か?
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最初の展示物は青銅器だ。形も良いし、完品だ。出来が良すぎる。模造か?
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青銅器は時代が古ければ古いほど、形が良いと言われている。見ていると、本物らしく見えてきた。
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ああ、今度は印鑑だ。中国では古くから、権利や契約で印鑑が使用されていた。長い歴史がある。
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これは玉璽か・・。漢委奴国王の金印を思い出す。
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南越の歴史については、自分は殆ど知らない。揚子江流域、戦国時代の呉越同舟から始まって三国志に至るこの辺りの歴史は、多少なりとも聞き覚えのあるものの、そこから南、福建省を越えて更に南の広東、広西方面の歴史については、全くの無知と言える。鑑真和上が何回かの来日渡航失敗で、遠く海南島まで流され、漸く広州までたどり着き、それでも挫けずに次の6回目の挑戦で漸く来日を果たした。その故事の中で、この町の名前を知った程度で、その当時のイメージでは、広州など江南江北の各都市と比べたら、寒村のような集落ではなかったのか、と想像していた。が、昨日鑑真が一時逗留した光孝寺の境内を散策し、その歴史的、文化的厚みに、それまでの認識を新たにしたのだった。

さて、これから博物館に入る。外国人なのか高齢者だからなのか、理由は分からないが入場料が無料なのはうれしい。NY,メトロポリタンと並び称せられる収蔵物の多さを誇る上海博物館も入場料は無料で、過去数回入館しているが、共産国家で、財政の豊かな大都市は、こうした施設を無料にしているのかも知れない。昨日、Takaさんからのコメントもあったが、この博物館の赤い外壁は砂岩ではなくて、レンガではないかと。その指摘を受けて改めて思い起こすと、或いはそうかも知れない。イミテーション技術に長けた中国のことだから、砂岩に似せて、上手にレンガを積み重ねたのかも知れない。さて、中の収容物や如何?いずれにしても、素人の目には本物も偽物も区別が付けられる訳でもなく、初めて見る南方の文化、新鮮な目で眺めていく以外ないだろう。

入って直ぐの入り口には、何か金属製の鎧に覆われたミイラの大きなパネルが展示されている。ここの博物館の目玉のようだ。ああ、これが南越王なにか・・。そう言えば、何年か前、この地方で新たに王墓が発見され、発掘した処、全身貴石で覆われたミイラが発掘されたとのニュースを聞いた記憶を思い出した。だとするとこれがそうなのか・・。このミイラを中心として、この博物館が開館されたとすれば、それは丁度ツタンカーメンを展示するためにカイロ博物館がオープンされたようなものだ。何かワクワクするような最初の出会いだが、展示室は2階からで、取り敢えずは順番通り見ていくことにした。



当時から既に官僚社会。中央に王がいて、地方には又藩王がいて郡王がいる。更にその下の統治機関。印鑑も多種多様にある。
そう言えば、自分も以前魯の曲阜へ行った時、孔廟の前で印鑑を2つ彫ってもらい、今でもそれを使っているが・・
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これは腕輪か・・。富の象徴だ。
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ああ、これは刀剣だ。青銅製。
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大分錆が出ている。本物なのだろう・・。
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これは武具だ。弓矢のモーター部。
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短弓のバネの部分だ。中国ではこんな古くから飛び道具を使っていたのか・・
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現行の役の頃、日本武士団は蒙古兵のこの短弓に散々な目に遭ったが・・
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