ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(97)五仙古観を出て六榕寺に向かう。

五仙古観・資料室には、この町の初期の頃のジオラマが展示されていた。
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広州は今は大都市だが、2000年前の初期の頃には、珠江沿いの段丘上に発達したようだ。
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資料室には遺跡から発掘された出土品なども展示されていた。
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広州2000年の歴史。
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五仙人がギリシャ風の彫刻のレリーフで飾られていた。
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広州は周辺地域を入れると1000万人を超える大都市だが、古い寺とか遺跡、博物館等は市の中心、越南区に集中していて、移動は楽だ。今朝は南越王墓博物館に行くのに地下鉄を使ったきりで、後は中山廟から始め、三元宮、懐聖寺、五仙観とすべて歩いてやってきた。これ等の観光地点はすべて旧市街の中心部に位置していて、この町が形成された古い時代に建造されたものだ。

今、五仙古観の中に資料室があり、そこには古い時代の骨董品などと共に、この町の初期の頃のジオラマも展示されていて、この町が珠江の河岸台地の縁の部分に発展してきたことが良く分かる。台地の高い所は昨日散歩した越秀公園であり、その中の古城址や、中山記念塔の部分だ。この五仙古観や三元宮は、その丘の麓の部分にあたる。以前は案外こじんまりとした河岸の街だった。

再び又街中を歩き次の六榕寺に向かう。町の人々の風物を見るのは楽しい。同じアジアの文化圏だから、日本とのそれ程大きな違いはないのだが、矢張りそこは異国。大陸のおおらかさ、男女同権が行き渡った女性の強さ、逞しさ、日本の半世紀前の路地裏の光景が眺められる。以前はそんな中に貧しさも見られたが、今はそれ程感じられない。むしろ時間に余裕のある、充実した日々を送っているかの光景だった。



さて再び裏通りを歩いて次の六榕寺に向かう。
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半世紀も前の日本の裏通りを思わせる光景だ。
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理髪店、美容室だ。
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按摩の店には防犯上の鉄格子が嵌められている。
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朝からカードゲームを楽しむ周りの主婦たち。
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