ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(132)アバディーンの護岸を歩いて水上レストランへ。

渡船から降りて、護岸沿いに水上レストランまで歩いていくことにした。
イメージ 1



護岸は綺麗に整備されているが、遊歩者、観光客はほとんどいない。
イメージ 2



お金のあり余っている中国、贅沢に作っている。
イメージ 3



嘗てのアバディーンの紹介文などもある。レパルスでは英語と日本語の表記もあったが、ここでは中国語だけだ。
イメージ 4



先刻対岸へ渡船で渡ったが、対岸の島とはこの大橋でも結ばれている。
イメージ 5



アバディーンの水路と対岸の島はこんな感じの位置関係だ。
イメージ 6



ああ、今その橋の下を客船が通って行く。
イメージ 7



橋の向こう側に水上レストラン、Floating Restaurantが見える。護岸沿いに歩いていけば、直ぐ近くだろう。
イメージ 8




確か「蛋民」と言った。今ではこんな言葉も聞くことが無くなり、殆ど死語となってしまったが、「蛋民」(たんみん)は嘗ての香港周辺の水上生活者の蔑称だった。朝方歩いた九龍駅の前の港にも昔は沢山の蛋民船が浮かんでいたが、今は全く影を潜め、鋼鉄の作業船しか浮かんでいなかった。ここアバディーンにもその蛋民船がびっしり舳先を並べていたが、今はその当時の100分の一位にしか数を減らしている。そう「蛋民」だ。中国が経済発展し、衣食住の環境が整い、向上してきた現在、この「蛋民」という言葉もいつしか消えてしまっていた。

対岸との往復30分余りの渡り船での渡航は昔のことを思い出すのに十分な時間で、この湾の奥の方に浮かぶFloating Restaurant,即ち、水上レストランに向かって、これから護岸を歩いて向かうことにした。今日の目的の一つはそこへ行くことだが、水上タクシーならぬ、小人数の渡船がどこかからか出ていると思うのだが、場所も言葉も分からず、綺麗に整備された護岸を歩くことにした。レストランは湾の直ぐ先に見えるのだから、歩いて行っても訳はないだろう。

観光用に整備された護岸で、この港の歴史やら、観光案内が中国風の陶板で作られてはいるが、歩いている人は自分以外にはいない。まだ宣伝が充分行き届いていないのか、現在も整備進行中で、造園業者があちこちで植樹作業などをしている。高速道路も既に開通しているのかどうなかもわからないが、この護岸の直ぐ真上まで延びていて、多分将来的には対岸の島とを結ぶ巨大橋に繋がるのだろう。

簡単に行きつけると思って歩き始めたが、その護岸は途中で途切れていて、未整備の状態だ。磯伝いに浅瀬を歩いていくことも考えたが、先の方がどうなっているかも分からない。そこで道順に一旦市街地に出ることになったが、それは随分の大回りとなってしまった。どこかに水上タクシーの乗り場もあった筈だが、言葉が分からないので、致し方ない。

町中に入る手前の丘の中腹に道教の道観があって、煙が棚引いてきたりしているが、共産中国の初期の頃は宗教は排斥されていたが、世の中が落ち着くと伴に、中国民衆に根差したこうした宗教があちこちに再興され、民衆の帰依を集めている。中国人は共産人と言っても、根の部分は陰陽五行、数千年間生活の中に溶け込んでいる思考習慣は簡単には変えられないのだろう。

その道観を過ぎて、少し賑やかな通りを通り過ぎると、香港ヨットクラブの高級そうな建物の直ぐ裏手に水上レストランに渡る渡船乗り場に漸く着いた。前方に先刻見えたジャンボ・レストランの赤屋根が大きく見えていた。



護岸はまだ整備中で、湾内の途中で切れていて、遊歩道は町中へ続いていく。
イメージ 9



護岸には花なども植えられていて、綺麗に整備されている。
イメージ 10


イメージ 11




護岸整備の作業員が植栽などをしている。
イメージ 12




ここからはビクトリアピークの裏側の斜面がよく見える。
イメージ 13




斜面のあちこちにマンションが建っている。
イメージ 14




町へ入る手前に道観があった。
イメージ 15




道観の先はアバディーンの町で、ここまで高速、地下鉄が延伸しているようだ。
イメージ 16




かなり大回りして、漸く水上レストランへの渡船乗り場まで着いた。
イメージ 17




ああ、見覚えのある赤屋根のレストランだ。
イメージ 18