ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(130)Aberdeen・香港仔へ。

レパルスからバスに乗って約20分、アバディーンの町中に到着する。
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いやー、ここも又すごい近代的な街になっている。
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不動産売買の活発な中国。通りのあちこちに不動産事務所が見える。
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街をみてもしょうがない。港へ出ると、昔の面影が少しは残っていた。
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細長い水路のような港は昔と変わらない。
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しかし高層化の波はこんな港町まで押し寄せてきている。
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そうだ、この渡し船に乗って、対岸へ行ってみよう。
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今自分は香港島を時計回り、右回りに回っている。今いるレパルスは香港中心部からビクトリアピークを間に挟んで、丁度対極の場所にいる。ここから更にバスを乗り継げば、島の西側、アバディーンへ出る。フローティングレストランはそのアバディーンにある。ただ詳しい場所はうろ覚えで、アバディーンのどの辺りにあるかはうろ覚えで明確でない。兎も角、このままバスに乗り続ければアバディーンに出るし、水上レストランそこへ着いてから探すことにしよう。

後ろ髪を引かれると言ったら大袈裟になるが、もう多分来ることもないレパルスに別れを告げてバスに乗る。ここからは道幅も広くなっていて、渋滞は嘘のように解消され、普通のバスの速度で、幾つかの停留所にストップし、賑やかな町中に入るが、そこがアバデーンの中心部だ。ここも又見違える。香港はどこもかしこも50年前のイメージとは大違いだが、ここアバデーンの変貌こそ、全く別の町へやってきた感じだ。50年前と変わらないのは、地名だけ。いや、その地名すらも今ではアバデーンと言うよりか香港仔と呼ばれている。この中国名の通り、ここが香港の発祥の地で、香港が英国の植民地になる以前から人々はここで漁労を営んでいた。いや、それは表向きで、片一方で密貿易などもやっていたのかも知れないが・・。

漁師の町、アバディーン。この町が最初から香港仔と呼ばれていたのか、中国復帰前後にアバディーンから中国名に変更されたのかは、自分には分からないが、英国アバディーン、いや正確に言うと北海に面したスコットランドの漁師町アバディーンから名づけられたのではないかと思う。英国が進出して来た頃のこの辺りは単なる漁師の集落だった。長崎のグラバーもそうだが、当時極東までやってきた英国人の中には、スコッチも多くいた。そうしたスコッチの誰かが、この漁師の集落をアバディーンと名付けた。50年前最初にこの港町へやって来た時、そう思った。今でもその考えは変わらないが・・。

大きく変貌したアバディーン。変わらないものと言ったら、この地名と、昔よりはかなり綺麗になったジャンク船。船首と船尾が反りあがった独特の形は鋼鉄船となった今でも変わらない。それとこの港。昔も今もこんな感じのウナギの寝床のような細長い水路のようだった。そうだ、渡し船に乗って、対岸へ渡ってみよう。より港湾を深くみられるかも知れないし、ひょっとして水上レストランまで運んでくれるかも知れない。



護岸は綺麗に整備され、アバディーンの案内が出ている。
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バンコクチャオプラヤー川の渡船を思い出す。
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遠方のあの高い山はビクトリアピークか・・
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さて、渡船に乗船だ。
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小さな小舟がいっぱい係留されている。
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昔も高層ビルはあることはあったが、これ程激しくはなかった。
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全く違った街、違った港へ来ている思いだ。初めての町へ来た感じだ。
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