ちゃおチャオブログ

日々の連続

奄美の3日間(9)瀬戸内町古仁屋。

瀬戸内町・古仁屋には立派な「海の駅」がある。
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この2階がレストランになっていて、先刻の牡蠣の筏を思い出し、牡蠣フライを食べる。
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ああ、冬なのに、今頃ハイビスカスが咲いている。
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奄美の最南端、矢張り暖かな気候なのだ。
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食後、湾の先の岬の上に上がってみる。
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日本に大島という名前の付く島が幾つあるかは知らない。大小様々の、或いは無人島のような島を含めたら、数千はあるかも知れない。有名な所は伊豆大島周防大島等があるが、そんな大島の中で最大の島はここ奄美大島だ。沖縄本島の半分程の大きさで、離島の中では佐渡ヶ島に次ぐ大きさで約70万㎡ある。佐渡ヶ島は全島一つで佐渡市になっているが、ここは旧名瀬市が周辺の町村を幾つか合併し、今は奄美市という名前になっているが、これが島の唯一の市で、他は町村となっている。この町の中で最大は島の最南にある瀬戸内町だ。今その瀬戸内町の古仁屋港に半日かけてやってきた。途中パンクなどもあったが、走行距離にしたら100キロ程度だ。

湯湾岳を眺められる赤土展望台から山を下ると、国道58号線にぶつかり、長いトンネルを抜けて坂道を下ってくると、正面に瀬戸内町古仁屋の街並みとその先に海が見えてくる。町の奥行は僅かなもので、この国道58号線の行き止まりが港になっていて、そこが古仁屋港である。岸壁に加計呂麻に渡る渡船が2隻停泊していて、その岸壁の手前には「海の駅」がある。昔は「駅」と言えば鉄道駅しかなかったが、最近では「道の駅」を初め、各地にいろいろな「駅」が出来ていて、この港では「海の駅」となっている。

古仁屋港「海の駅」は1階が渡船の乗船券売り場や鮮魚類の売り場、キオスク等があって、2階がレストランになっている。丁度お昼を過ぎてお腹も空いてきた。2組位しかいないガランドウのレストランの海の見える場所に座り、先刻パンクの場所で沢山の牡蠣の筏を見てきたが、その牡蠣フライのランチを頂くことにする。窓の外の岸壁に係留されている渡船は、いつ出航するのか、荷物の積み下ろしもなくのんびりしたものだ。対岸の加計呂麻とは1日数本の往復しかないのだろう、殆どお客もいない赤字路線になっているに違いない。

今日は可能であれば加計呂麻まで渡る積もりでホテルを出てきたが、途中のパンクで2時間を空費し、しかも渡船の本数も限られている。「向かいは大島」ではなく、大島側から海峡を眺め、加計呂麻を眺めることにしよう。食事を終わり、湾の先の岬の上にある灯台まで行って見る。岬の上からは古仁屋の港が一望だ。古仁屋と加計呂麻。不思議な地名だ。瀬戸内町自体は戦後の周辺町村合併で新たに生まれた町名だが、この古仁屋、加計呂麻は昔からこんな風に呼ばれてきた。日本の遠い祖先が薩摩・大隅から海を渡り、この島にやってきて、更に沖縄まで渡って行った。奄美にも沖縄にも日本の古語が数多く残されている。加計呂麻~古仁屋、一対どんな意味だったのだろう・・。



高台からは古仁屋港が一望だ。
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大島海峡と右手の加計呂麻島も良く見える。
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高台を更に登り、岬の先端の東大の場所まで来る。
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古仁屋港を見下ろす岬の上に建つ灯台
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海峡の正面には加計呂麻島が浮かんでいる。
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