ちゃおチャオブログ

日々の連続

薩摩・大隅の旅(24)佐多岬を下って霧島へ。

30分ほど岬の展望台、記念碑等を見学し、マイクロに乗って駐車場に戻る。
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本土最南端、亀石と呼ぶようだ。成程、亀の形に似ている。
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駐車場に戻ってきたが、師走の事ゆえ、駐車場はガラガラだ。
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佐多岬周辺の案内図。
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本土最南端、綺麗な海岸が続く。
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本土最南端、大泊の集落だ。
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佐多岬佐田岬。自分ではいまでもでちらがどちらなのか、迷ってしまうが、ブログの知人・悠久のボヘミアンさんは宇和島の出身で、高校時代はボート部に所属し、良く宇和海に漕ぎだしていたそうである。この宇和海を取り囲んでいるのが、日本一細長い半島「佐田岬」で、読み方は「さだの岬」と呼ぶそうだ。自分も彼からの昨日のブログコメントで初めて知ったが、成程、文字も違えば、読み方も違ったのか。

高台にある佐多岬から、南の海、屋久島、種子島、喜界が島、悪石島等を眺め、実際はこれ等の小島は目には見えないものの、俊寛、西郷、大和、或いはゼロ戦特攻機等々を想像し、岬を後にして、麓の駐車場に下った。麓と言っても、海岸線からするとまだ高い場所にあり、目の先の眼下に綺麗な砂浜が見える。本土最南端の集落大泊の浜辺だ。その浜辺に面して真っ白の4階建て建物が見える。これが我が知友鳥さんが、佐多岬から宗谷岬までの日本縦断徒歩旅行の前日に泊まったホテル佐多岬だ。彼に電話し、今ホテルの前を通り過ぎたことを伝えてやる。

自分は二人の偉人と知り合いになれて果報者だ。一人はこの鳥さんで、30数年前、大腸癌を発症し、手術の結果ストマを付ける身体になったが、そうしたハンデがあるにも関わらず、20数年前自転車で本州を一周し、更に今度は徒歩で日本列島を縦断しようとしている。もう一人はTakaさんという女性だが、20数年前、ご主人と二人で、宗谷岬からこの佐多岬まで何日もかけて自転車で走り抜けた。そのご主人も胃癌で早逝されたが、その後、彼女はシャンソンに打ち込み、毎年何回かシャンソンのコンサートへも出演し、更に旅行好きで、普通の人々が行かないような、イグアス、カナリー、青ナイル、セーシェル、等々、年に何回もの海外旅行を楽しんでいる。自分の周りにこのような人生の達人が二人もいて、啓発されるとともに、目標として存在している。二人のような豊かな人生を生きたいものだ。

車は本土最南端のホテル「佐多岬」の前を通り、本土最南端の小学校大泊小学校の前を通り、時々車を止めて、周辺の景色を眺め、この情景を心に焼き付け、今朝通ってきた国道・佐多街道を北上した。



日本縦断3000キロの徒歩行脚の前日、鳥さんが泊まったホテルが見える。
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本土最南端のホテル佐多岬だ。
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ああ、最南端の大泊小学校だ。
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大泊の漁場から佐多岬を眺める。見納めだ。
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佐多岬に来るときは車の中からちらっと眺めた入り江の集落。帰りは少し余裕があり、車を止めて車外に出て、写真を撮る。
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佐多岬に続く海外線が見えている。日本の美しい原風景だ。
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