西の方、西郷公園の向こう側が夕日に燃えている。そろそろ搭乗口に行こうか・・
JAL機は定刻8時15分に霧島空港を後にした。
機の下に見える光は、霧島市か・・。
二泊三日の鹿児島の旅。1日が長くて実り多い三日間だった。羽田行JAL最終便に乗って鹿児島を後にする。後にも先にもこれが本当の鹿児島最後の旅になるだろう。若い頃は仕事や旅行などでよく最終便に乗って帰京したが、歳を取ってからの深夜便は久しぶりだ。まあ、夜の10時くらいだから、外国を旅行する時のような真夜中の深夜便ともいえないようなものだが・・。
機の下に街の明かりが見えている。規模、明るさから言って鹿児島市内ではなさそうだ。空港近くの町、近年町村合併で生まれた霧島市の町の明かりかも知れない。いや、或いは機の向きから言って、都城かも知れない。15年前に泊まらせてもらった今村さんには今回は電話もしなかった。年賀状もいつしか途絶え、まだ生きてい
機の下に街の明かりが見えている。規模、明るさから言って鹿児島市内ではなさそうだ。空港近くの町、近年町村合併で生まれた霧島市の町の明かりかも知れない。いや、或いは機の向きから言って、都城かも知れない。15年前に泊まらせてもらった今村さんには今回は電話もしなかった。年賀状もいつしか途絶え、まだ生きてい
るのかどうなのかも分からない。彼は都城をいつも誇りにしていて、泊った翌朝2階のベランダから眺めた間近に見える高千穂峰が忘れられない。この山にはその日の2001年5月3日に登頂した。自分にとっての100名山中、第3座目の山だった。
< 茜差す 高千穂峰 拝みけり >
機の外に黒く見える山がどこかは分からない。この高千穂峰かも知れないし、桜島、或いは祖母山かも知れない。いずれにしても真っ黒の山容で、どの山との区別はつかない。その後数回に分け九州の100名山はすべて踏破した。九州には峻険な山はなく、登りやすかった。お正月、積雪の中を登った祖母山、3つ4つの峰を縦走した阿蘇連山、韓国岳と噴煙棚引く新燃岳。100には100の違った顔があると深田久弥は言っていたが、皆思い出深い山だ。
山に限らず、九州は島部を除き、殆どの場所を巡っている。特に熊本はある事件の関係で何回も足を運び、思い出深い地になっている。更に今回鹿児島が加わった。本土の最南端佐多岬を回り、本土最南端の始発・終着駅枕崎も訪問した。そこで念願のカツオの刺身は食べられなかったが、その代わりに腹もをいっぱい食べることができた。刺身は東京でも存分に食べられるが、腹もは、東京では珍しい。鹿屋・知覧の両特攻隊基地、それと城山からの桜島の眺め。かるかんと楽しい思い出をお土産にして、機は夜の海上を羽田に向かっていた。
機の外に黒く見える山がどこかは分からない。この高千穂峰かも知れないし、桜島、或いは祖母山かも知れない。いずれにしても真っ黒の山容で、どの山との区別はつかない。その後数回に分け九州の100名山はすべて踏破した。九州には峻険な山はなく、登りやすかった。お正月、積雪の中を登った祖母山、3つ4つの峰を縦走した阿蘇連山、韓国岳と噴煙棚引く新燃岳。100には100の違った顔があると深田久弥は言っていたが、皆思い出深い山だ。
山に限らず、九州は島部を除き、殆どの場所を巡っている。特に熊本はある事件の関係で何回も足を運び、思い出深い地になっている。更に今回鹿児島が加わった。本土の最南端佐多岬を回り、本土最南端の始発・終着駅枕崎も訪問した。そこで念願のカツオの刺身は食べられなかったが、その代わりに腹もをいっぱい食べることができた。刺身は東京でも存分に食べられるが、腹もは、東京では珍しい。鹿屋・知覧の両特攻隊基地、それと城山からの桜島の眺め。かるかんと楽しい思い出をお土産にして、機は夜の海上を羽田に向かっていた。
JAL機内。7割8割の乗車率だ。
機は真っ暗な洋上を飛び、凡そ1時間後、前方に列島の光が見えてくる。
1時間15分、機は羽田に到着した。
今回は2泊3日の思い出深い鹿児島の旅になった。