ちゃおチャオブログ

日々の連続

奄美の3日間(3)北部の笠利灯台を回り、名瀬のホテルへ。

あやまる岬からは次に島の最北端笠利岬に向かう。
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笠利岬の崖上には白い灯台がたっている。登って行くのも大変で、行くのはパスした。
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島の最北端、高台から眼下の集落を見る。これが最後の太平洋岸だ。
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鄙びた海の集落。ずっと先の方にあやまる岬も見えている。
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見晴らしの良い高台には展望台なども作られている。
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自分の人生にぴったりと思われた「あやまる岬」の名前に惹かれ、奄美での最初の訪問先に決めてやってきたが、岬の上に建つ案内板を読むと、「あやまる」とは当初自分が勝手に考えていたような「謝る」とか「誤る」からきているものではなく、「綾」が語源になっているとのことだ。

奄美大島は昔から大島紬が有名で、空港からここへくるまでの間にもそうした大島紬の広告板などを見かけたが、この岬の周辺では、昔、乙女がここへ集まってきて、綾織りをしていたそうである。綾取りをして円座になる。で、「あやとり岬」。随分古風な名前だったのだ。

岬の上から遥かに望む鶴翼のごとき左右の海岸線を見て、この島の北端、笠利岬に向かう。道路はどこも綺麗に舗装されていて対向車も少なく、勿論信号機もなく、運転しやすい島だ。海岸線を10分程走ると笠利の集落に出て、更にそこを突き進むと道路は行き止まりになる。道は岬の先端まで行っているのかも思いきや、その大分手前で終点になっていて、車を降りて前方を眺めると、高い崖の上に灯台の白い建物が見える。岬の上に立つには、高度差凡そ50-60mのこの崖路を登って行かなければない。崖を登って灯台まで行ったとしても、本土が見える訳ではない。見えるとしても精々隣の喜界が島位か・・。行くの止めて、道路を引き返し、元の県道に戻ることにした。

県道は島の北端部を周回するように走っていて、地形に沿って高見に登ったり、海外線に沿って走ったりを繰り返すが、どこを走っても風光明媚だ。特に高台からの眼下の見晴らしは素晴らしい。小さな入り江があったり、それを囲む様に鄙びた集落が集まっている。まるで箱庭。それはおとぎの世界ではなく、現実に鄙の人々が生活している桃源郷

道路はそうした上り下りを繰り返し、笠利灯台の手前の坂道を登り、下るといつしか太平洋岸からシナ海側に出て、更に波静かな海岸線を走ることになる。小さな集落を幾つも通り過ぎ、それ等は押しなべて過疎化の波に洗われ、道路に人影は見えず、家々が無言のままに集まっている。昔は賑やかだったこれ等の集落も、今は限界。いつ廃村になってもおかしくない。そうした海岸線を走り抜け、夕刻、漸く名瀬の街に到着し、ホテルにチェックインできた。



この峠を越えると、次はシナ海側に出る。
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ここはもう島の西側。太陽が沈んでいく。
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今越えてきた笠利の山なみが見える。
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小さな集落を通る途中、珍しく子供が遊んでいるのが見えた。純朴な遊びだ、
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西側の綺麗な海岸線が続く。
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