ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(150)パパ・ヘミングウェイ。

闘牛場の周囲は深い木立に覆われている。
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闘牛場入り口。牛追いの牛は、先刻の飲み屋街を追い立てられ、ここから闘牛場に入場する。だが、残念ながら今日は休みだ。
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闘牛場入り口付近に胸像が建っている。
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ああ、ヘミングウェイだ。パパ・アーネスト!
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今日は休みで場内に入れず、観光客も入り口前で記念写真を撮っている。
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パンプローナとヘミングウエイは切っても切れない縁にある。それは彼が「陽はまた昇る」でこの町のこと、闘牛のこと、ピレネー山中での生活等を紹介した経緯によるものだった。彼がこの小説を書いた1920年代、青春時代の彼は特派員としてパリに住み、しばしばピレネーを越えて、この町やサンセバスチャンにやってきた。当時のドルは今の数倍も価値が高く、贅沢な生活をしていたが、彼はパリから車をチャーターし、この山中での鱒釣りにやってきていた。そうした旅行中に知り合ったのが、年若き闘牛士、美貌のマタドールであり、彼の興味は鱒釣りから、こちらの闘牛の方に移っていった。

パンプローナの大通りには巨大な牛追いのモニュメントがあり、その大通りの突き当りにはこの町の闘牛場がある。そこは丁度飲み屋街の入り口にも当たり、旧王宮広場にも近い。戦前はこの辺りが街の中心からちょっと外れた場末であったに違いない。深い木立に囲まれた闘牛場の正面に、見慣れたひげ面のレリーフアーネスト・ヘミングウェイの半胸像が置かれている。この町では彼はパパ・ヘミングウエイと呼ばれていて、この町の名誉市民、パパ、なのだ。町の誇りなのだ。

しかし彼は町の人々が彼を思う程、この町を愛していたかどうかは分からない。彼の最晩年は革命前のキューバハバナの郊外に居を構え、好きな釣りに余生を楽しみ、そうして書かれたのが「老人と海」で、彼はこの出版によりノーベル文学賞を得たのだったが、それは戦後のことで、彼がパンプローナで楽しんだマタドールやサン・フェルミン、鱒釣りの時代からは遥かに後年のことだった。

自分が高校生の頃、最初に英語の原文の小説を読んだのはその「老人と海」だった。比較的分かりやすい英文だったが、それでも辞書を引き引き、つっかえながらも読み終えた。海を愛し、魚釣りに人生のすべてを投じ、彼の生涯の夢、彼のFishing Boatよりも大きなサメを吊り上げる事。巨大サメとの壮絶な死闘の末、遂に吊り上げ、ボートに引いて浜辺まで持ってきたが、引き上げた時は他の魚に食われて、骨だけになっていた。人間の純な気持ち、海での戦い、非情な現実、等々、高校生でも感動できる内容だった。

「陽はまた昇る」は以前一度は読んだこともある筈だが、内容も朧で、記憶も鮮明でなく、今回の旅行に際し改めて文庫本を買い再読したが、矢張り内容はだるいものだった。「陽はまた昇る」の意味合いは、毎日朝太陽が昇るように、毎日が繰り返し過ぎていく、にあり、Dullyな毎日、日常のそれ程刺激の無いだるい毎日を表現するものだった。余り意味ある内容の小説とは思えず、この文庫本は、自分が宿泊した学生街のコンドミの部屋に置いてきた。

多くの観光客もそう感じたに違いない。今日はたまたまなのか、いつものことなのか、闘牛場は閉ざされたまま、人々は入場口近くの木陰にたむろし、多分当方と同じように「陽はまた昇る」の一節を思い出したり、友人同士と話し合っているのかも知れない。ここが開かれるのは年に何回か、、来月毎年7月に行われる牛追いの日には開かれるだろう。それに闘牛の開催日。年に何回かはあるだろう。たまたま今日はアンラッキーだったのだ。当方も暫く木陰の下に佇み、又胸像の場所に戻り、髭ずらの髭をなぞり、旧市役所の方向に向かって歩いて行くことにした。



この町とヘミングウェイとの係わりに関して、詳しい解説が行われている。
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ああ、サンフェルミン、牛追い祭りの宣伝だ。
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闘牛場に入ることは出来ず、木陰を暫く歩く。
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Paseo Hemingwey,ああ、ここはヘミングウェイ通りだ。
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さて次に飲み屋街を通って、市役所の方に行ってみよう。
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