ちゃおチャオブログ

日々の連続

イギリスの3日間(34)シェイクスピア旧居訪問。

シェイクスピア旧居への入館が暫く待たされたが、漸く順番がやってきた。
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旧居の前の小広場では地元かサークルのメンバーがシェイクスピア劇をやっていた。
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前のグループに従って、おずおずと室内に足を踏み入れる。
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ここが500年前シェイクスピアが生活していた部屋なのか・・。
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食卓も当時を再現しているようだ。
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今回のイギリス旅行で、何が目玉かと考えたら、いろいろあって分からなくなる。先ず第一にロンドン観光。その中には大英博物館訪問が含まれていること。次にJALで往復し、しかもヒルトンホテルに泊まれるということ。殆ど個人旅行では実現できないことだ。3番目に位置づけられるのは、多分、シェイクスピアの生家訪問だ。世界の文豪、シェイクスピアハムレットマクベスリア王。彼の演劇を実際に劇場で見たことは数少ないが、随分以前にまだ浅利慶太が若かりし頃、新装なった日生劇場劇団四季演ずる「真夏の夜の夢」を観劇した位だが、四大悲劇と比べると、何かバタバタ感が拭えなかった。

彼の主要劇作はテレビで見たり、本で読んだりした位だが、それでも絶妙な言いまわしには感心した。明治の初めころ、坪内逍遥シェイクスピア劇を翻訳したが、それが日本に於ける外国作品の最初の本格的な和訳ではなかったかと思う。夏目漱石が作家になったのはどうした背景があったのだろう、と考えてみると、シェイクスピアの影響が大であったのではないかと想像する。尤も、彼の遺稿の中にはその様な記述はどこにも見当たらないが・・。いずれにしてもシェイクスピアは近代日本人を初めとして、世界の多くの人に大きな影響を与えた劇作家であることは間違いない事実である。

さて、漸くシェイクスピア旧居への入館が許可された。家の前のちょっとした広場では、地元の大学生なのか、演劇サークルのメンバーなのか、シェイクスピアの時代劇を演じている。観客は殆どいない。その演劇を横目で眺め、旧居に入る。500年ほど前彼はこのストラッドフォードアポンエイボンの町で生まれ、育ち、二十歳頃までこの町で過ごしたが、それはこの家とは別の所のようだ。彼は二十歳前後にロンドンへ出て、劇作家として大成功を収め、晩年この町に戻ってきて、その際この邸宅を購入したようだ。だから正確に言うと生家とは言えないものだが、いずれにしても古い家で、一般的には生家と呼ばれている。

シェイクスピア亡き後、この家の所有も二転三転し、一時は旅籠屋、ペンションのようになっていたが、今は保存会が買い取って、一般に公開している。古い建物で、一時に沢山の訪問客が押し寄せたりしたら、床とか階段が落ちる危険もあるのだろう。時間当たりの入館者数は決められていて、各国からやってきた観光客は、前のグループに従って、順繰りに各部屋を回って行く。ベッドルームとか居間、食堂、炊事場等々、昔の状態が上手に再現されているが、調度品は全てが全て、昔のままのものではないだろう。だが、建物構造自体は500年前同様のもので、杉板の床が歩くたびにたわんだり、こつこつ靴音がするのは、何かしらシェイクスピアが生きていた時代を思わせるものがあった。



欧州人は昔からベッドの生活をしていたのだ。エジプト、ギリシャ、ローマの昔から・・。
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どの部屋がシェイクスピアで、家族の物か、ガイドの説明を良く聞いていなかったので、分からなくなった。
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ここは居間のようだ。
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観光用に随分とアレンジされてるようだが・・
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ここは台所。鴨などがぶら下がっている。ジビエの料理が主体だったのか・・
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