ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(65)先刻のカフェーに戻る。

モラエスの生家を見終わり、再び先刻のカフェーに戻ることにした。
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近くにはこうした公共の立派な建物もある。
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刻の病院の敷地を横切って行くと、緑地の上に珍しい鳥がいる。
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人を恐れず、逃げる様子はない。
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始めて見る鳥だが、何ていう名前だろう・・。えいや、「西洋アヒル」としておこう。
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モラエスの生家と言っても、案外単調なものだった。その辺に普通にある集合住宅で、日本で言えば中クラスのアパートだ。ガイドブックでの目印とか、建物ドアの上のプレートの表示が無ければ、何も気が付かずに普通に通り過ぎて行くだろう。モラエスと言っても有名な作家ではない。40年ほど前、新田次郎が小説の中で取り上げなければ、殆どの日本人も知ることはなく、忘れ去らた人物だ。

自分自身も新聞の連載小説で彼の名前を知っただけで、実際には彼の著作を全く読んでいないのでどういう作家だったのは知らないが、自分が知るところによれば、彼は日本をこよなく愛し、30代の半ばにして既に生涯を日本で過ごすことに決め、在神戸総領事の仕事の傍ら、多くの日本の風物をポルトガル初め欧州各国のメディアに紹介し、その内の幾つかは本になって出版されている。

この時代の日本ではラフカデオハーンがつとに有名だが、彼も又当時の日本を広く世界に紹介した優れた著述家の一人だった。自分がこうして彼の生家を尋ね、リスボンまでやってきたのは、そうした彼に対する敬意であり、精神性への尊敬の念であり、彼が生まれ育った家屋の華美な豪奢を見るためではなかった。「サウダーデ・孤愁」の後半、最後に徳島の貧しい長屋で亡くなった後、彼の預貯金資産は現在の日本円にして1億円を超えるものがあったと記されていたが、彼には外見にとらわれない心の豊かさがあったに違いない。洋の東西を問わない人間の生き方の一つの見本になるものだった。

さて踵を返し、先刻のカフェーに戻ることにした。夕食の時間、あの店で何か食べられれば、それに越したことはない。愉快な二人で、言葉は十分通じないが気持ち良いポルトガル人と話を交わしているだけで、美味しく食べられそうだ。

MEO Driveはどこへ行くにも便利で、先刻の店、VIOLETAへ行くにしても、コースを直ぐに表示してくれる。帰りも又病院の敷地を横切って行くのが一番早く分かり易い。そうして病院を横切って進んでいくと、小さな緑地の中で、西洋アヒルのような中型の鳥が芝生の上を歩いている。近くに人がいても逃げる気配する示さない。日本の鶏よりは一回り大きくしたこの鳥の実際の名前は知らないが、取り敢えずは「西洋アヒル」としておいた。犬や猫と同様、この国のアヒルは、もう随分昔の頃から、こうして人の生活圏の中に入り込み、共棲しているのだろう。平和な国だ。



病院の中の建物。何かの病棟だろう。
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St.Maria病院。これ等の彫刻はマリアを含む、カトリックの神々か・・
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先ほどのPastalaria VIOLETAに戻って来た。このセミ黒の男性が店のオーナーとのことだった。
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ポルトガルの500年を超える植民地経営の中で、いろんな人種が本国ポルトガルにやってきて、黒人もアジア人もこの国に住み着き、何世代も経て精巧しているのだろう。
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再び又ビールを頂こう。彼は遠慮していたが、MEO Driveのお礼にコーヒーを1杯奢る。彼はアルコールは全くダメだった。
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