グリニッジの丘の上からはロンドン中心部も良く見える。正面に海洋博物館が見える。
丘を下ってテームズ川まで歩いてみよう。下に見える白い建物が海洋博物館だ。
ここが地下鉄駅からの2階建てバスの終点にもなっている。
グリニッジ気象台。英語で表記すればGreenwich Observatory。その名称の通り、貴さ凡そ100m程の丘は、緑のグリーンに覆われている。大きな緑地公園の丘の上にこの天文台が立っているようだ。テームズ川河口にも近く、今ほど建物の密集していない18世紀、19世紀にあっては、この丘の上に立てば、テームズ川及び、その先のロンドン市街も一望の元に見渡せただろう。現にこの丘の上からは、ロンドン中心部の高層ビル群も今でも見ることができる。
天文台の子午線を跨いだ写真をイギリス人職員に撮ってもらい、館を出ることにした。丘を下る前に、もう一度丘の上から周囲を見渡す。僅か100m程の低い丘だが、周囲は平坦で、360度の視野が広がる。ロンドンの思い出として残しておこう。この丘の麓には、先ほど通ってきた海洋博物館もあって、チャーチルか誰かは不明だが、時の海軍卿の銅像など立っていたが、その同じ緑の小径を引き返し、テームズ側に出ることにした。広い緑地公園には散歩している人の数は少ないが、ジョギングをしている何人かは見かけた。これから天文台に向かおうとする観光客も何人かは見かけたが、大勢の中国人グループを見ることも無く、静かな公園歩きができた。
麓にある海洋博物館。綺麗なロビーと展示場があって、船の模型や写真パネルなども展示している。入館者は殆どいなく、カウンターのクラークが一人二人暇そうにしていた。嘗ての海洋国家英国も、ITの時代にはこうした海の催しも余り見向きもされないようになってきたんか・・。この博物館の前がグリニッジの市街地で、古い街並みになっている。昔はこの辺りにテームズの河港があって、従って英国海軍、Royal Navyの本拠地でもあったのだ。街の中程、バスの終点にもなる所に、以前の海軍兵学校の大きな敷地とレンガの建物が残されている。明治の元勲東郷平八郎はポーツマスの士官学校に留学したが、彼もその行き帰りにはこの兵学校にも立ち寄ったかも知れない、思い出の場所でもある。
この兵学校の直ぐ先がテームズ川であり、その河岸台地にはカティサーク号が海上から引き上げられて展示してある。その大きな3本マストはこの兵学校正門前からも良く見える。高々と空に伸びている。さてこれからそのカティサークとテームズを見に行こう。
天文台の子午線を跨いだ写真をイギリス人職員に撮ってもらい、館を出ることにした。丘を下る前に、もう一度丘の上から周囲を見渡す。僅か100m程の低い丘だが、周囲は平坦で、360度の視野が広がる。ロンドンの思い出として残しておこう。この丘の麓には、先ほど通ってきた海洋博物館もあって、チャーチルか誰かは不明だが、時の海軍卿の銅像など立っていたが、その同じ緑の小径を引き返し、テームズ側に出ることにした。広い緑地公園には散歩している人の数は少ないが、ジョギングをしている何人かは見かけた。これから天文台に向かおうとする観光客も何人かは見かけたが、大勢の中国人グループを見ることも無く、静かな公園歩きができた。
麓にある海洋博物館。綺麗なロビーと展示場があって、船の模型や写真パネルなども展示している。入館者は殆どいなく、カウンターのクラークが一人二人暇そうにしていた。嘗ての海洋国家英国も、ITの時代にはこうした海の催しも余り見向きもされないようになってきたんか・・。この博物館の前がグリニッジの市街地で、古い街並みになっている。昔はこの辺りにテームズの河港があって、従って英国海軍、Royal Navyの本拠地でもあったのだ。街の中程、バスの終点にもなる所に、以前の海軍兵学校の大きな敷地とレンガの建物が残されている。明治の元勲東郷平八郎はポーツマスの士官学校に留学したが、彼もその行き帰りにはこの兵学校にも立ち寄ったかも知れない、思い出の場所でもある。
この兵学校の直ぐ先がテームズ川であり、その河岸台地にはカティサーク号が海上から引き上げられて展示してある。その大きな3本マストはこの兵学校正門前からも良く見える。高々と空に伸びている。さてこれからそのカティサークとテームズを見に行こう。
カティサーク号だ。
3本マストのクリッパー。
遠くロンドン市内の街並みも見える。
観光船か水上交通か・・。この川も墨田川よりは賑やかだが、チャオプラヤ程の賑わいはない。