一旦自宅に戻り、葬儀社を手配し、それも由美子が生前予約していた生協の葬儀者なのだが、霊柩車を病院に横付けし、ゆかたに着替えられ死化粧が施された由美子と共に自宅に帰ってきた。一昨日、息子に抱えられるようして帰って来た自宅に。無言の帰宅。
ここ数年、由美子の体調が年々低下してきているのは、傍で見ていても分かった。自宅から一ノ割駅までのおよそ1キロの道のり。以前は杖(ステッキ)で往復していたのだが、2-3年前から手押し車を押してしか行けなくなった。杖だけでは既に歩けない身体になっていた。「手押し車だとこうして椅子を倒して、いつでも休めるんだよ」と、手押し車の効用を楽し気に話していた。が後から思うと、その明るい話しぶりは悔し紛れの偽装だったかも知れない。
駅やその手前のスーパーまで一緒に歩くことも何回かあったが、ほんの数百m歩いてはその椅子を倒し、休むことが多くなってきた。しかもその距離は段々短くなっていって、最近では自宅から車道に出るまでの数十mで、もうすぐにも休みたがった。しかし本人は最後まで可能なら脚力を付けて、再び駅までは杖で歩けるようになりたいと願ってもいて、それを常に口に出してもいた。
矢張りその頃から介護のヘルパーを頼むようになり、介護保険だけでは足りずに民間のヘルパーも依頼するようになってきた。ちょっとした身体の不具合で入院する回数が多くなり、2-3日で退院することもあれば、1-2週間続くこともあった。透析で日中はほぼ寝たきりなのに、透析以外の日も別の治療で入院し、寝たきりの状態はどんどん本人の筋肉、筋力を落としていった。