ちゃおチャオブログ

日々の連続

江南周遊(8)空中散歩、博多湾上空。

機は門司上空から海岸線沿いに南下する。この川は遠賀川に違いない。
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鐘崎港の方向だ。
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ああ、真っ直ぐの川。暴れ川、遠賀川の分流か・・。左手は宗像のようだ。
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ああ、もう福岡上空だ。海の中道が見える。
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小倉から博多までは新幹線では15分もかからない。ローカルの快速電車でも30-40分程度だろう。北九と福岡は殆ど隣同士の街だ。門司のレトロ港が真下に見えて、機は海岸線に沿って南下する。次に見えるのは北廻船で賑わった鐘崎だ。遠賀川も見える。人工的に真っ直ぐ海に注いでいる。こんもりした辺りは宗像か・・。沖合の島は宗像3女神を祀る島かも知れない。

電車で30-40分かかる所も飛行機だとほんの2-3分で飛び去って行く。宗像の隣はもう直ぐにも海の中道だ。弓のように海中に伸びている砂州。この先に志賀島があり、江戸時代、この島から漢委奴国王の金印が発見された。当時は島だったが、今は中道と繋がっている。以前博多港からフェリーに乗って20分、この島に渡り、金印が発見された小公園に行ったが、人家も何もない、山が直ぐ海に迫るような場所で、よくぞあのような純金製の金印、今は何番目かの国宝に指定されているが、その小公園の段丘の上に登り、目の前の博多湾を眺め、1世紀の頃のこの湾の海の向こうとの交流史を思った。

そこからこの島の先端までは歩いて30分ほどか。古い集落の狭い道を歩き、島の先端部には奇麗な国民宿などもあって、目の前には海が大きく開けていて、そこが玄界灘なのだ。一衣帯水。ここから先は本当に僅かな距離で、対馬、その先の半島へも渡れそうにも思えた。この目の前の海原を超えて、どういう経緯で金印があのような人家も何もない段々畑の土の中から掘り出されたのか、未だに謎ではあるが・・。確か松本清張にもこの辺りの考察を描いた書作もあったように思えたが・・。

機上から眺める博多湾は、本当に玉子型をした真ん丸な湾だ。右が海の中道、左が能古島。いずれも元寇の頃は、蒙古の船団が押し寄せてきた場所だ。大和が攻め込み、又大和が半島、大陸から攻め込まれる。有史以前からの2000年、この眼下の奴の国の湾と浜辺には半島・大陸との交渉史が刻まれている。

おや、福岡ドームが見えるじゃないか。海際の丸いドームが良く見える。その手前の湖は大濠公園だ。福岡城と嘗ての福岡平和台球場。その旧球場の地下から嘗ての遺跡鴻臚館も出てきたようだ。この湾は、奈良明日香と同じように、長い長い日本の歴史の原点なのだ。



左手には金印が発見された志賀島だ。
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眼下の福岡の街並みと博多湾、その先の玄界灘が一望だ。
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志賀島能古島。二つの島が博多湾を守っている。
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ああ、福岡ドームも見える。その手前の湖は大濠公園福岡城だ。
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