ちゃおチャオブログ

日々の連続

江南周遊(17)無錫のホテルにチェックイン。

無錫の人口は約400万人。人口の点から言えば、大坂や名護屋よりも大きい。
イメージ 1


高層ビルとか、大きな劇場も見える。
イメージ 2


ああ、これは太湖を望む歌舞場かも知れない。
イメージ 3


太湖の端のほうだ。
イメージ 4




町の名前が「有錫」から「無錫」に変わったのはいつの頃は知らないが、実際、ガイドの葉さんの話が歴史上あったのかどうなのか、単にバスの中での冗談話だったのかは当方には吟味できないが、河南、江南のこの辺りは、歴史的も随分古くから開けていて、春秋戦国の昔から群雄割拠する地で、三国志の時代には、この長江川筋が主戦場でもあった。前漢の呉越時代には、越王句践の武将、樊噲(はんかい)が句践の妃、西施と共にこの地に余生を送った、との言い伝えも残っている。近くに太湖もあり、風光明媚な場所だったに違いない。

昆山の千燈からはツアーバスで高速道を通って凡そ1時間、最初の頃は殆ど平原上の平らな土地だったが、車窓に山肌などが見えるようになって、暫く走ると一般道に出て、住居やビルなどが増えてきて、無錫の町に入った。途中、大きな運河が遠方に見えたが、多分京杭運河かも知れない。いずれこのツアーでは明日行くことになっているが・・。

中国は人口も多く、どこの地方の主要都市も、人口の点では日本の大都市を遥かに超えているが、この無錫も人口の点だけから言えば、大坂や名古屋並みで、市域も広い。市内に入ると両側の高層ビル群や、車の数、既に10数年も前からモータリゼーションの時代に入っているが、この大都市も渋滞は酷い。

幹線道路の上を市内高速道が走っていて、バスはその下の一般道を走るが、にっちもさっちも先に進まない。ホテルはこの道路の反対側にあるようだが、ぐるっと先の交差点まで行ってUターンしないと、ホテルの駐車場には入れないので、この渋滞を辛抱強く待たざる得ない。運転マナーは日本の30年前同様で、バスの前への割り込み車両が絶えない。その都度運転手は大きな音でクラクションを鳴らすが、前の車は一向に知らん顔。随分以前に中国のローカル線に乗ったが、その時、我先にと社内に乗り込む、あの光景と似ている。

宿泊ホテルは君楽酒店(DX)と言って、まあ、この町では上等のクラスに入るのだろう、20階建ての高層ホテルで、なかなか感じは良い。合計14名のツアー客、フロントで暫く待たされ、鍵を渡され、12階の部屋へ。ツインの部屋で、悪くはない。中々広く、二人であっても狭さは感じない。部屋で一休みし、早速近くにあるスーパーへ買い物に出かけた。時差があるのか、外はもう暗くなっていた。



無錫旅情の歌詞は覚えていないが、中に確か太湖の畔・・、といった歌詞もあったように思えるが・・。
イメージ 5


ホテルは町中にある君楽酒店。ここは12階のエレベーターホール。
イメージ 6


部屋までの通路も静かだ。
イメージ 7


ツインの部屋。まあ、悪くはない。
イメージ 8