ちゃおチャオブログ

日々の連続

江南周遊(32)無錫の唐城にて。

僧院の中には幾つもの仏像が安置されている。
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長安のお寺と言えば、青龍寺を思い出したのだが、そこへ行ったNaviさんの話によれば、ここは青龍寺とは違うようだ。
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中国大乗仏教の仏が並んでいる。
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僧院の外に出ると、七重の塔が目の前に見えた。これこそは大雁塔に違いないだろう。
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自分には唐と漢の区別が未だに明確につかない。何かの本で読んだ曖昧な記憶があるが、北京方面の北方系の中国人は漢人黄河以南、江南方面の人々を唐人と呼んでいる、と記憶している。言葉は漢語と呉語、即ち江南語だが、この二つは明確に異なっている。同じ漢字は使用しているが、発音とか、言い回しは違っている、しかしそれは地方差の方言のようなものだから、双方はお互いの言葉を聞いて理解できるし、又、話すこともできる。鹿児島弁の人が東北弁を聞いたり、真似したりするようなものかも知れない。

今歩いている唐城。長い中国の歴史の中でも、こんな城の名前を聞いたことはない。漢城はあったとしても唐城は過去の歴史の中ではなかったと思う。元々映画セット用に作られた城だから、勝手に名前を付けたのだろう。時代背景を唐代に設定しているから、唐城の名前は、そ限りではぴったりだ。唐の都長安は国際都市で、当時の世界中から人々が集まってきていて、一大国際都市を形作っていたが、このテーマパークでは、そうした国際色は見られない。長安は現在は西安という名前に変わっているが、1000万人を越える大都市で、その市の中心部に大きな公園があり、公園の目立たない場所に阿倍仲麻呂の石碑が立っていて、それを探し当てた時には、感動した。当時の大唐帝国は包容力があり、仲麻呂のような外国人でも有能であれば、大いに登用されていた。その行き着いた先が安禄山の変で、確か彼は中近東のグルド人だったと思う。

空海長安にやってきたのは、仲麻呂が死んでから大分経ってからで、二人がこの町でニアミスするということはなかったが、空海がやってきた当時でも、彼の令名は鳴り響いていたに違いない。空海が僅かの期間で、この町のお寺青龍寺真言密教第7祖恵果阿闍梨から灌頂を受け、密教第8祖として日本へ招来することになったのは有名な話で、今テーマパーク内の僧坊を歩き、数々の仏像を眺めていると、何かしら長安仲麻呂空海の結びつきを思い起こすのだった。僧坊を出て、前方に見える七重の塔、あれこそは玄奘僧正がインドから持ち帰った仏典を収めてある大雁塔に違いない。ここはミニチュアサイズの長安で、外人の姿も見えないが、それでも前方の七重の塔や僧坊内の仏像等を眺めると、1400年前の時代に戻ったかのような錯覚も得られた。さて、次は大運河だ。



さて、いよいよ唐城を出ることになる。
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バスに乗る前にトイレに立ち寄るが、こちらのトイレは余り上品ではない。
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これから整備される地区のようだ。
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ああ、このカフェはモダンだ。禁煙で、ネットも使える。猫カフェか?
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