ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場・高知篇(7)金剛頂寺からの眺め。

唐から帰った直後の大師像。
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金剛頂寺本堂に辞して、境内を下る。
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途中に宿坊跡が見えるが、今は使われていないようだ。
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そこの台地の上から崖下の室戸を眺める。
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西の寺、金剛頂寺は室戸の町はずれ、160m程の崖の上に経っていて、本堂、大師堂にお参りした後、その崖の上から目の前の太平洋、室戸崎に至る海岸線を眺める。ここへ来るまでのバスの中からヘアピンカーブでその一部は見たが、景色がくるくる変わり、写真を撮る余裕も無かったが、今この境内からはゆっくりと眺めることができる。目の前が何もない崖上だから、ここが僅かに160m程の高さの場所とは思えない程の雄大な景色だ。

左手の方向には室戸岬があるのだが、樹木に隠れ岬の先端までは見えない。が、その手前の室戸港は良く見える。昔から名の知れた港町で、空海が唐から帰国した際、暫く大宰府に逗留していたが、その後京に上るに際し、この寺に立ち寄ったとされているが、当時もこの港はあっただろう。港の直ぐ前には第二十五番津照寺があり、室戸崎の先端には第二十四番最御崎寺がある。最御崎寺空海にとっては、最も思い出深い場所の一つだ。

寺伝によればこの寺は空海にとって最初の勅願寺の創建で、桓武天皇の後を継いだ平城天皇の勅願で本尊の薬師如来を彫ったとのことである。空海の帰国を待ち望んでいた桓武天皇は前年に崩御していた。その後、嵯峨天皇の御代になって、金剛頂寺の勅額を下賜されたとのことである。この時空海は既に長安で恵果阿闍梨から真言宗第八祖の印可を受けていた。二十歳の頃、眼下の岬の先端の洞窟で修業し、虚空蔵求聞持法を100万辺唱え、見事に体得したが、それから既に10数年は経っている。この断崖の上に立って、空海は何を思ったか・・。



室戸港は良く見えるが、樹木が邪魔して室戸崎は残念ながらよく見えない。
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再び直登の参道を下降りる。
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かなり長い石段だった。
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バス駐車場周辺の眺め。
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