ちゃおチャオブログ

日々の連続

8.27.(火・曇り)松岡正剛「空海の夢」を読む。

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先日三田誠広空海に関する本を流し読みしたが、この松岡正剛空海の夢は、全くレベルの違う内容で、読み終えるのに何日もかかった。衰えた頭には理解するのも難しく、昨日、今日、二日かけて、取り敢えずは読み終えたが、殆ど理解していない。もう随分以前、30-40年も前になるが、司馬遼太郎の「空海の風景」、李舜臣の「曼陀羅の人」をそれぞれ読み、あの時代にあって、ものすごい日本人がいたものだと、感心したが、今回改めて、「空海の夢」を読み、再認識した。過去も将来もこれ程の日本人が出てくることは稀であろうと。

内容は殆ど理解できないまでも、この本の最初の頁に書いてある「生まれ生まれ生まれ生まれて生の初めに暗く、死に死に死んで死の終わりに冥し」。これは空海の「秘蔵宝論」の中にある言葉で、「三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲なることを識らず、」に続いて出てくる言葉で、人は真っ暗の中で生まれてきて、真っ暗の中で死んでいく。その間の今生きている三界、四生も、同じことで、狂人は自分が狂っていることが分からず、盲人は自分が盲とは分からない。今生きている自分も自分のことは殆ど何も分からない、といった意味のようだ。
空海は人の命を越えて、全宇宙の中の生命体、涅槃経の、草木国土悉皆仏性、皆、仏性をもって成仏する、を目指していたのかも知れない。

70過ぎて、どう生きるべきか、尚迷っているが、死ぬまで解けない謎かも知れない。空海は一宗教者を越えて、思想家、哲学者、人間の在り方、宇宙との関わり、この宇宙と地球と、人類、動植物の生きとし生けるもの全てを包括して解を求めた探究者。生きて佛になった一人でもある。後世、外国の研究者なども空海に着目し、彼の思想が遍く世界の人々に行き渡り、救済されることを願う。


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