ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場・高知篇(10)室戸崎・みくろど(御厨人窟・御蔵洞)へ。

尚熱心な人が津照寺大師堂にお参りしている。
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津照寺を後に、今日最後の札所最御崎寺に向かう。
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その前にバスはサービスで、岬の先端にあるみくろど(御厨人窟)まで行ってくれることになった。
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室戸岬の先端には中岡慎太郎銅像が建っているが、その前の荒磯には大きな岩礁が転がっていた。
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津照寺を出たバスは今日最後の巡礼地最御崎寺に向かう。この寺は名前の通り、室戸崎の最先端にあるお寺だ。津照寺からは同じ室戸市内にあるから距離は僅かだ。バスは室戸市内を出ると、岬の先端に向かう海岸線に出る。先端に近づくにつれ、右手に見える海岸が荒磯に変わってきて、大きな岩礁もごつごつ見えるようになってきた。岬の先端は矢張り波も荒く、岩石を構成している余分な要素は荒波にそぎ落され、洗われ、岩の芯の部分だけが残されたように、黒々と転がっている。

バスは一瞬大きな像の前を通り過ぎた。見覚えのある像だ。そう、中岡慎太郎銅像だ。思わず声を出し、隣の木田さんに教えてやった。坂本龍馬と維新改革に奔走し、歳僅か30にして京都池田屋で竜馬と共に暗殺された。その彼の功績を称え、地元のこの場所に、これ程大きな銅像が建てられたのだ。この像がある場所が岬の最先端で、この少し先にみくろど(御厨人窟、御蔵洞)がある。

本来このツアーは八十八ケ寺の霊場を巡礼し、お札を納めるものであるが、このみくろど(御厨人窟)は空海の生涯において最も重要な場所の一つであり、このツアーはサービスの一環として、バスの車内からではあるが、その洞窟の前を通過する。神童空海が青年の頃この洞窟に篭もり、虚空蔵求聞持法を100万篇唱え、ある日の朝明けの明星が口の中に飛び込んできて、その一番難しいと言われる求聞持法を体得したと言われる。これを体得すればあらゆる難解な経文も難なく覚えられるとは、彼の24歳の時の著作、三教指帰の中に出ている。

国道ができる以前のこの洞窟は直接海に面していた。洞窟の中から外を見ると、海と空しか見えない。目の前の宇宙は空と海に二分されている。この時から青年僧まお(真魚)は空海と名乗った。偉大な宗教家であり思想家、仏教密教伝来者であり、人間教導者空海、後、弘法大師の誕生である。その洞窟は今もなお、奇跡のように、大きく口を開けていた。




バスはサービスで、八十八ケ寺ではないが、重要な聖跡、みくろど(御厨人窟)を回ってくれた。
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みくろど(洞窟)の前には、修行中の空海が眺めた海と空が広がっていた。
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これから室戸スカイラインを通って、岬の上の丘の上にある最御崎寺に向かう。
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スカイラインの上からは遠く高知の桂浜方面まで見通せた。
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