ちゃおチャオブログ

日々の連続

能登の春(7)輪島の街並み。

旧輪島駅前通りは、整然と区画整理されていて、昔風の輪島塗土産店の古い家屋が立ち並んでいる。
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正面の右側に輪島駅がある。そこから国道249号線までの500-600mの両側には数十軒の輪島塗土産店が立ち並んでいる。但し、人通りはいないし、店に入っている客もいなかったが・・。
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この商店街の中ほどの奥まった場所にこの地方の法務局支部が見える。
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裁判官も検察官も同じ屋根の下。昔から仲良しのお友達なのだ。
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輪島旧市街地はそれ程広くない。駅から朝市通り、更にその先の海岸までぶらぶら歩いても10分程度だ。距離にして1キロ前後か。駅ビル内のレストランで昼食を食べ終え、孫への絵葉書をポストに投函し、先ずは駅前通りを歩いて、朝市通り、海岸まで歩くことにした。今は人通りの全くない駅前通り。いつ区画整理されたのか幅広の真っ直ぐの通りが、500m程続いている。大正時代、輪島に初めて鉄道が引かれ、今の場所に駅舎が出来た当時、この辺り農地であっただろう区画を整理し、見栄え酔い駅前商店街を作ったのだろう。道路の両側に並ぶ古めかしい建物は、如何にも戦前風のどっしりした造りになっている。

両側の和風建物の土産店の大半は輪島塗の店だが、歩道を歩いている人も少なく、ましてや店の中に客が入っているのは見かけない。店先で、年老いたお婆さんが、日向ぼっこがてらに店番をしている位で、客がくるかどうかには頓着していないようだ。尤も歩道を歩いているのは自分一人であり、こんな男は客とも見られていないかも知れないが。何軒かはシャッターや雨戸が閉じらた状態になっているが、それでもシャッター街というイメージはない。ポツン、ポツンとやってくる客もいるのだろう。1点単価が高いから、少し売れれば、十分かも知れない。

そんな商店街の中ほどに、ひょっと見えたのが、奥まった住宅地の中にある白い2階建て建物だ。地方に行くと時々見かける建物。地方の主要都市の市役所とか警察署の近くには、このような特徴のない建物を見かける。特徴のないのが、この建物の特徴で、それは大概、地方法務局の建物だ。地方裁判所、簡裁支部か検察支部が仲良く同居している建物だ。近くまで行って、看板を見ることも無い。臭いで分かる。大正時代、鉄道が輪島まで延伸され、駅が出来た頃、駅に近い場所としてこの場所に法務支局が建てられ、その後何回か建て替えられ、尚この場所にあるのだろう。人口減に激しいこの地方で、この建物もいつまで存続できるだろうか・・。

そこから数百m進んだ先が国道249号線との交差点で、この辺りが旧市街の中心部に当たる。輪島朝市もここからすぐの場所だ。漫画家永井豪の記念館がその朝市通りにあるというので、行ってみる。永井豪は名前だけは聞いていたが、漫画は読んだことはない。この町の出身者とは知らなかった。午後の時間、朝市通りを歩く観光客もまばらで、記念館の前には、マジンガーZの大きなキャラクターが、お客さん、おいで、おいで、をやっているが、今の時間、館内に入っていく人もいない。

その記念館のはす向かいには、凝った作りの西洋風の建物がある。今は使われていないらしく、中半廃墟のような感じもする。道路に面した前庭にはギリシャ彫刻のビーナス像とか、いろいろな置物が放置されたままになっている。大理石ならそうとうに高価な筈だが、この状態で放置されているのだから、石膏像かも知れない。近所の店の人に聞くと、以前どこかの金持ちが美術館として建てたが、バブルが弾けたころ、どこかへ行ってしまった、と話していた。バブルの後遺症。こんな田舎町のこんな場所にも残っていたのか・・。ここにも又バブルに舞い、狂わされた人間がいたのだ。バブルが終わって20年、この町、通りが再び輝きを取り戻すことはないだろう。



朝市通りに出て、永井豪記念館を見に行く。
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マジンガーZがいらっしゃい、と呼んでいるが、入っていく客はいない。
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永井豪記念館の向かいには、ギリシャ風の建物がある。・・何だろう・・、こんな場所に・・。
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近くの人に聞くと、以前は美術館だったとのこと。バブルの頃、倒産したとのことだった。
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