法堂は大きな伽藍で、境内のほぼ中央に位置している。鶴見總持寺の三松閣を思わせる大きさだ。
法堂の正面には開祖、右側には道元禅師が祀られる。
法堂の右手にも大伽藍の仏殿がある。
この寺の御本尊はお釈迦様で、仏殿に祀られている。
總持寺祖院はかなり広い境内ではあるが、横浜鶴見の大本山總持寺よりは広くはない。鶴見の方が倍位広い感じだ。自分の記憶では福井永平寺と同じくらいの広さか。永平寺の後ろの山林がどこまで山内に含まれるかどうかは知らないが、その後背地の山林を除いた境内に限れば大体同じくらいの広さだろう。
その広い境内を拝観順路に従って歩いて行くと、白山神社の先に僧堂があり、ここでは雲水達が瞑想中とのことで、歩行は音を立てないように、との注意書きがあり、自分も猫足、すり足で廊下を渡る。障子に節穴でも開いていたら、中の様子ものぞき見たくもなるのだが、そんな節穴や隙間もなく、雲水の修行の状況を見ることは出来なかった。きっとこの山間の里で、静寂の中で瞑想、修行しているに違いない。
この僧堂から少し坂を上った所に、この寺の開祖を祀る伝燈院があり、見るからに古めかしい外観であるが、この建物こそ、明治の大火を免れたものである。更にその奥には、この寺の創建以前からある観音堂、行基が建立したと伝わる慈雲閣もあると案内図には出ているが、伝燈院の下の石段からは見ることが出来なかった。多分林の中にひっそりと建っているのだろう。
その伝燈院を下った場所、この境内のほぼ正面に大きな伽藍の法堂(大祖堂)がある。実に大きな建物で、鶴見總持寺の三松閣を思わせる大きさだ。この法堂の正面には開祖瑩山禅師、左に道元禅師が祀られている。道元禅師は永平寺の開祖であり、この寺と永平寺との繋がりは、こんな所にも表れていた。
この法堂から仏殿、紫雲台と渡り廊下で繋がれていて、それぞれ大きな伽藍造りとなっている。境内の最後に香積台があり、ここには寺の受付、調理場、浴場等が備わっている。ここまでの処、参詣者はごく僅少の数人程度で、むしろ工事関係者の方が目立っていた。この香積台の近くに寺の案内板が出ていて、惣持寺の文字も見えた。昔はこの寺も惣持寺と書かれていたようだ。惣も總も総も殆ど同じ意味で、全てを集める、全てを代表する、と言った意味で、どの文字を使っても同じ意味なのだろう。出口付近に新しく出来た感じの奇麗なトイレがあり、そこに立ち寄りこの寺を後にする。次は天領黒島へ行ってみよう。
その広い境内を拝観順路に従って歩いて行くと、白山神社の先に僧堂があり、ここでは雲水達が瞑想中とのことで、歩行は音を立てないように、との注意書きがあり、自分も猫足、すり足で廊下を渡る。障子に節穴でも開いていたら、中の様子ものぞき見たくもなるのだが、そんな節穴や隙間もなく、雲水の修行の状況を見ることは出来なかった。きっとこの山間の里で、静寂の中で瞑想、修行しているに違いない。
この僧堂から少し坂を上った所に、この寺の開祖を祀る伝燈院があり、見るからに古めかしい外観であるが、この建物こそ、明治の大火を免れたものである。更にその奥には、この寺の創建以前からある観音堂、行基が建立したと伝わる慈雲閣もあると案内図には出ているが、伝燈院の下の石段からは見ることが出来なかった。多分林の中にひっそりと建っているのだろう。
その伝燈院を下った場所、この境内のほぼ正面に大きな伽藍の法堂(大祖堂)がある。実に大きな建物で、鶴見總持寺の三松閣を思わせる大きさだ。この法堂の正面には開祖瑩山禅師、左に道元禅師が祀られている。道元禅師は永平寺の開祖であり、この寺と永平寺との繋がりは、こんな所にも表れていた。
この法堂から仏殿、紫雲台と渡り廊下で繋がれていて、それぞれ大きな伽藍造りとなっている。境内の最後に香積台があり、ここには寺の受付、調理場、浴場等が備わっている。ここまでの処、参詣者はごく僅少の数人程度で、むしろ工事関係者の方が目立っていた。この香積台の近くに寺の案内板が出ていて、惣持寺の文字も見えた。昔はこの寺も惣持寺と書かれていたようだ。惣も總も総も殆ど同じ意味で、全てを集める、全てを代表する、と言った意味で、どの文字を使っても同じ意味なのだろう。出口付近に新しく出来た感じの奇麗なトイレがあり、そこに立ち寄りこの寺を後にする。次は天領黒島へ行ってみよう。
仏殿に祀られる釈迦三尊像。
禅宗の寺によくある偈(げ)のようだ。
最後にもう一度法堂を見て、祖院を後にする。ここの山額は「惣持寺」となっている。