ちゃおチャオブログ

日々の連続

5.12.(日・晴・曇り)大月、岩殿山。

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今日は稲さんと久しぶりに五日市方面へ行こうと自宅を出たが、電車を1本乗り過ごしてしまい、時刻表を見るとその次の電車が大月行となっている。では今日は五日市ではなく、大月へ行くことにした。
中央線も相模湖を出ると、もうどこも山間で、どこで下車しても初夏の緑山を楽しめるのだが、今日は大月の駅に近い場所にある岩殿山に登ることにした。
大月自体が人口過疎の町になっていて、日曜日でも駅前大通りはシャッターが目立つが、山に入ると登山者は全く少ない。今日のような好天でも、ハイキングにやってくる市民もいないようだ。山の中腹の資料センターのある見晴らし台が444.4m。そんなに高く登った気はしないが、駅自体の標高が高く、200mは登ったのだろう。

山頂は630mだから、ここからは約200m。つづら折りの坂道を登って行く。登り口にカウンターがあり、8212番。これが何時からスタートしているカウンターか知らないが、1月からスタートしたとすれば、4月までの4か月間、月平均約2000人。1日平均60-70人。だがどう見ても、そんなに人は来ていないだろう。今日の日曜日、どう見ても20人を超えてはいない。
12時半、山頂へ。富士見100景、富岳12景に選ばれている山ではあるが、今日は雲が掛かっていて、富士山は奇麗には見えない。前回来た時は、見事な富士山を見ることが出来たが・・。

ブログを確認すると、前回来たのは、今日と同じ季節、去年の5月5日で、この時は猿橋を見てから里山をぐるっと回ってこの山に登り、この時は16.85キロ歩き、総歩数は23、735歩。今日の記録を帰宅後に確認したら、10.27キロ、14、466歩となっていた。今日は大月駅間の往復だったが、案外歩数を稼いだものだ。

この山は、全体が礫岩の巨大な岩石で出来ていて、古く修験道の山で、以前はここに天台宗円通寺という大きなお寺があり、僧坊も沢山あったと言われるが、戦国時代には、武田の神将小山田氏が居城とするところとなり、戦国末、武田が滅ぶと同時にこの城も落ち、江戸初めころ、廃城となった。武田方諸城、八王子や先週見てきた勝沼城、滝山城と同じような命運を辿ったのだ。

山頂近くの草地で気持ちよくビールを飲み、ゆっくり時間をかけて下山し、丁度帰りには東京直行の電車に乗ることが出来、早めに自宅に戻ることも出来た。ひと風呂浴びて、駅ビルの魚力で買ってきたカツオの刺身をつまみに、大相撲、貴景勝の勝ちっぷりよい押し出し相撲を見て、御機嫌の1日だった。ただカツオは初ガツオではなく、解凍の刺身で、量は多かったものの、歯ざわり、舌ざわりは、初物には遠く及ばなかった。


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