ちゃおチャオブログ

日々の連続

5.11.(土・晴れ)100円募金。

イメージ 1




人の意識や行動パターンを変えていくのは本当に難しい。会社を辞めてから電車に乗る機会も少なったが、最近乗って気が付くことは、人々が高齢者に優しくなったこと。以前ではそれ程多くなかった高齢者に対する座席の譲り。最近はそうした光景をしばしば見かけるようになった。日本人の意識の中で、高齢者に座席を譲るという行動パターンが浸透しつつある。これが普通の行為になれば、日本の社会に定着したと言えるだろう。

今日も好天で深大寺水生園へアヤメ、菖蒲等を見に行く。先週青梅の吹上菖蒲園へ行ったが、そこでは全く花が咲いていなかったが、ここでも同様の情景。カキツバタだけは見事に咲いていたが・・。お寺の境内で楽しみにしていた何じゃもんじゃの花。残念ながらもう既に咲き終えていた。聞くと、4月後半から連休にかけて咲いていた、とのこと。今年は見逃してしまった。

境内を出た石段の脇で、ボーイスカウトの少年が二人、緑の羽根の募金活動をしていた。大声で募金を呼び掛けている。お寺を参拝した人々、その声に気付かないように通り過ぎていく。お寺にはお賽銭を幾ら入れたのかは知らないが、日本人はこうした募金には冷淡だ。皆が通り過ぎるので、自分も一瞬戸惑ったが、皆と一緒に通り過ぎて、水生園に向かった。花を見ていても、気分が冴えない。何故あの時募金してやらなかったのかと。小1時間園を見て、又深大寺の前を通り抜けて、帰るのだが、帰りには入れてやろうと、その場でまごつかないように、先に財布から100円玉を取り出して、手に持って歩いて行った。あの子供たちがまだ募金活動をやっているのを願って。

石段の下まで来るとまだ活動をやっていた。ああ、良かった。これで募金ができる。さりげなく100円玉を箱に入れる。箱の中で軽い音が響いてきた。それ程沢山の募金は集まってはいないようだ。人々はあれ程熱心にお賽銭箱にお金を投げ入れ、いろいろなことを熱心に願うが、この少年たちの掛け声を無視するかのように門前の茶屋でソバを食べたり、団子などを食べている。あの少年たちとは全く違う世界に住んでいるかのように。

募金箱に100円入れて立ち去ろうとすると、近くにいた大人の男性が慌てて追いかけてきて、緑の羽根を胸に付けていくれる。・・恥ずかしいから必要ないのに、と思ったが、なされるままにやってもらう。

人々は何のてらいも無くお賽銭を投げ入れるが、募金箱に関しては多少身構える。賽銭箱にお金を投げ入れると同じ気持ちで、募金箱には入れられない。深大寺には本堂、祖師堂、奥の院等々、賽銭箱は3-4か所あるが、人によってはそのどれにも100円玉以上の賽銭を入れ.ろ人もいるだろう。だが、石段下の少年たちの募金活動には無頓着を装う。

日本人の生活パターンの中で、町内会や学校単位での募金活動には、中半義務的感覚で、一定額を募金するが、こうした街頭での任意の募金には冷淡になる。日本人の日常生活や精神構造に馴染んでいないからだ。電車の中で人々が率先して席を譲る時代が来つつあるように、こうした街頭募金にも、人々が率先して募金するような社会環境、時代が来てもらいたい。何時間も立ちっぱなしで、大声を出している少年たちにも報いてやりたい。自分も経済的にもう少し余裕があれば、この少年たちにもっと沢山報いてやりたいのだが・・。

イメージ 2