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日々の連続

四国霊場・徳島編(18)第二十番鶴林寺。

長い石段を登った先に本堂がある。
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山中の鶴林寺
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本堂の前には銅製の鶴が置かれている。
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2尾の番の鶴。
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四国霊場第二十番鶴林寺は、麓を流れる那賀川から直ぐにも林道のような山道に入り、深山幽谷の中にあるお寺と言う感じである。インド仏教の聖地の一つは霊鷲山で、お釈迦さんもこの山に登って修行した言い伝えがあるが、こうした山中での修行は、精神の統一の上で効果があるのだろう。この鶴林寺山号霊鷲山命名されているが、他の仏教寺院で、この山号を使用したお寺があるかどうか自分は知らないが、札所第一番霊山寺もこの霊鷲山から採られた名前と言われている。

周囲は深い森に覆われていて、山中の森の中にポツンとこの寺だけが存在している状況であり、山を海に置き換えれば絶海の孤島、空海が修行の場所にこの山を選んだ理由には、それなりの理由もあるのだろう。山門の少し手前には、下の第十九番立江寺から登ってくる歩き遍路の山道があり、又、山門の先、本堂の長い石段の下の付近には次の第二十一番太龍寺に向かうお遍路道もあった。歩き遍路にとっては、平地の立江寺から約13キロの山道を登って、標高500mのこの寺にたどり着き、ここから更に山深い山道約7キロを歩き、標高600m近くにある第二十一番太龍寺に向かうのだが、徳島に於けるお遍路道では、この辺りが一番の難所になっている。

近くの山中に鶴峠という名前の峠があって、この辺りの山中は昔は鶴の飛来で有名だったのかも知れない。空海さんが修行中にも2羽も鶴が飛来してきて、今見る本堂横の大きな槇の木の枝に止まったとのことである。そこからこの寺の名前は鶴林寺と名付けられたのだが、その本堂の前には2対の鶴の番(ツガイ)が青銅細工で安置されている。鳥は実に夫婦仲が良く、大体の鳥は番で行動しているが、お遍路さんにとっての番は大師様かも知れない。

本堂右手の少し高台には整った形の三重塔が立っていて、江戸時代の建立。重文の指定はされていないが、徳島県有形文化財の指定は受けていて、杉木立に囲まれて、下から見上げる姿は神々しい。ここの唯一の重文は木造の地蔵菩薩像であるが、それは現在京都国立博物館に預託されていて、今はこの寺には無い。

本堂前の長い石段の横には大師堂があるが、その前に大きな宿坊が建っている。山中のお遍路で、参拝者にはありがたい宿坊であった筈だが、今は営業していない。ここ以外にも、他の場所でも休業中の宿坊を数多く見たが、それは数年前に旅館営業法が改正になり、民宿、旅館等の規制が細かくなって、従来の方法では宿坊が営業できなくなった、とのことで、相次いで休業に追い込まれているようだ。国の規制はある面必要かもしれないが、昔からあったこうした宿坊まで救済処置を取らずに廃業に追い込まれるのは、どうしたものか・・。


本堂の右手上には形の良い三重塔が建っている。
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本堂はこの長い石段の上にあった。
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鶴林寺案内板と大師堂。
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森に囲まれた良い寺だった。後ろは三重塔。
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