ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場・高知篇(19)第三十三番雪蹊寺へ。

八葉の禅師峰寺を下山する。

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峰の崖上からもう一度土佐の海を眺め寺を下る。

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浦戸湾に架かる大きな浦戸大橋を渡り、湾の反対側にある雪蹊寺にやってきた。

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ここは土佐の梟雄、長曾我部元親の菩提寺になっている。

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高尾山の奥、峰薬師の崖上から眼下に広がる相模野の広がりを見るような感じで、ここ峰の寺、禅師峰寺の崖上から再度土佐湾、太平洋の広がりを眺め、お寺を下山する。高さ80mの崖上は相模の峰の薬師の倍程の高さがあり、その分より遠方の視野も開け、土佐の海岸線が、ずっと先まで伸びていた。

バスは浦戸湾出口付近に架かっている浦戸大橋を渡り、湾の反対側に出る。以前自分が桂浜に来た時は、この橋はなかったと思う。いずれにしても、この大きな橋を渡るのは初めてだ。すごい高い位置に建設されているアーチ橋で、これだけ高ければ10万トンクラスの豪華クルーズ船でも通過できるだろう。橋は浦戸湾の両側の小高い丘の部分に架けられていて、橋を渡った先には桂浜があるのだが、残念ながらその小山の向こう側になってバスの中からは見えない。

高架橋を下りたバスは、暫く海岸沿いの直線道を走り、再び住宅地に入り、次の札所、第三十三番雪蹊寺に到着する。この寺は境内が神社のように樹木が生い茂り、結界なども神社風の石柱だ。この寺は元々は戦国の覇者長曾我部の菩提寺で、歴代の霊が眠っている。長曾我部は阿波徳島に於いては数々の名刹を打ち壊し、焼失させたが、ここ土佐高知では、徳島とは逆に多くの寺社を再興し、盛り立て、人々から尊敬されている。

県を越えれば、全く逆の評価で、ここでは人々の尊敬の念を集めている。江戸時代になって山内一豊が土佐に入府したが、旧長曾我部家臣団はこの土地に住み着き、いごっそう、言わば一刻者として、土佐の独自の武士文化を形成して行ったのも、長曾我部元親のこうした行動があったからかも知れない。

高福山高福院雪蹊寺四国霊場八十八ケ寺の中で、ここと前回参拝した徳島の葛井寺の2ケ寺のみが禅宗臨済宗妙心寺派のお寺で、寺名の雪渓は元親が死んだ歳の法号で、この寺が彼の菩提寺として、死後命名されたものである。さて、これから運慶作と伝わる御本尊、薬師三尊にお参りしよう。

 

樹木が鬱蒼と茂り、神社のような趣もある。

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ここは禅宗臨済宗のお寺だ。

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伝運慶作、薬師三尊がご本尊だ。

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禅宗の寺であっても、弘法大師を祀る大師堂がある。

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