長曾我部元親ゆかりの寺、雪蹊寺の案内図。
境内は緑が濃い。
ここは長曾我部家の菩提寺になっていて、その関係者の石仏なども残っている。
一見神社風の寺の前で写真を1枚。
破れたりとは言え戦国の覇者、一時は四国の大半を手中に収め、京まで攻め上ろうとした勢いもあった長曾我部元親も、更に強大な信長秀吉の前に野望は潰え、旧領土佐一国に押し込められてしまったが、それでも戦国の世を生き延び、朝鮮出兵も果たしたが、関ヶ原の戦いにおいて西軍豊臣方を加勢した結果、所領の土佐一国が没収され、戦後、長曾我部に代わり山内一豊が静岡掛川から転封してくることになった。領主は代わっても、元々長曾我部を慕う一領具足の家臣団はそのままこの土地に住み着き、御家断絶後ではあっても、江戸時代、その後の現在まで、こうして元親菩提寺を守り続けてきたのだろう。
歴史の重みを感ずる臨済宗の寺雪蹊寺を後に、次に向かったのは同じ高知市内、旧春野町にある古刹、種間寺だ。昔の春野町。温暖な黒潮の流れる土佐湾に面し、一足早い春野菜を栽培し、関西方面に出荷していたが、今では露地物は少なく、ハウス栽培が圧倒的だ。それはここ春野町に限らず、昨日バスで通った南国市、安芸市、室戸市、どこでもハウスが主流になっている。今頃は露地栽培などは時代遅れになっているのかも知れない。
雪蹊寺を出たバスは20-30分で次の霊場、第三十四番種間寺に着いた。丁度その頃小雨が降ってきて、傘が必要になる。お寺の名前ではないが、菜種梅雨の雰囲気にぴったりだ。濡れても困らないような小雨だが、矢張り濡れるのは嫌なもので、皆傘をさすか雨具を付けて駐車場から歩いて行く。参道が平坦なのが助かった。この寺は名前にある通り「種」に関係している。唐から帰朝した空海が中国から持ち帰った米、麦、あわ、きび、ひえ又は豆の5穀をこの寺の境内に蒔き、その後この寺は種間寺と呼ばれるようになった、との事である。種まき寺。それでは早速有り難きご本尊薬師如来にお参りしよう。
種間寺に着き、バスを降りたころ、小雨が降ってきた。
菜種梅雨。この寺の名前にぴったりの小糠雨だ。
さて、重文、薬師如来の御本尊にお参りしよう。