午後埼玉へ。昼前家を出て、南越谷で乗り換え。その時、駅前の定食屋で昼食。以前は早めに自宅を出て、途中で弁当を買って、1時の面会開始時間を待って病室で一緒にお昼を食べていたが、それも無くなってもう1年は過ぎた。未だに昨日のことのように思い出す。
何か心の張りとかつっかえ棒が無くなってしまったような感じだ。生きる意欲とか生きることの価値が半減してしまったようだ。まあ、いつ死ぬのかは分からないが、こんな風にだらだらお迎えがくるのを待っているしか能のない人生を送って行くのだろう。殆ど無意味な人生。
午後埼玉へ。昼前家を出て、南越谷で乗り換え。その時、駅前の定食屋で昼食。以前は早めに自宅を出て、途中で弁当を買って、1時の面会開始時間を待って病室で一緒にお昼を食べていたが、それも無くなってもう1年は過ぎた。未だに昨日のことのように思い出す。
何か心の張りとかつっかえ棒が無くなってしまったような感じだ。生きる意欲とか生きることの価値が半減してしまったようだ。まあ、いつ死ぬのかは分からないが、こんな風にだらだらお迎えがくるのを待っているしか能のない人生を送って行くのだろう。殆ど無意味な人生。