ちゃおチャオブログ

日々の連続

サイゴンの3日間(2)サイゴンへ。

成田17時50分発のJAL機はほぼ満席だ。ベトナム人乗客が多い。

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JALの機内食には定評がある。

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ベトナム戦争終結してほぼ40年になるか・・。1970年代にパリ協定が結ばれたから、まだ40年は経っていないか・。いずれにしても戦争終結から30年以上は経過した。若者の多いこの国で、国民の半分は戦後生まれかも知れない。40歳前の若者には、ベトナム戦争の意義、米軍との闘い、そこにホーチミンという強力な共産党指導者が存在していたことも余り知らないかも知らない。ベトナム戦争を知らない日本人の若者には、猶更のことだ。

 

だからこれから向かうホーチミン市も戦争以前はサイゴンと呼ばれていた大都市だった事の知識も余りないだろう。この町が何時ごろからサイゴンと呼ばれるようになったのかは自分は知らない。少なくとも19世紀、フランスがインドシナ半島に進出してきて、自国の保護下に置いたとき、この町はサイゴンと呼ばれていた。ラオスビエンチャンカンボジアプノンペンと並び、アジアのプチパリ、日本で言えば小京都のようなものだが、フランス行政官は、これ等の首都をパリの街並みに似せて、都市改造をしていった。ビエンチャンプノンペンも、そしてこの街も町のすぐ傍を大きな川が流れていて、フランス人はそれをセーヌと見立てたかも知れない。

 

成田からは首都ハノイ商都サイゴンも時間的には殆ど変わらない。ベトナムから成田空港か関空へ行くのと同じ程度の違いだ。サイゴン。古い日本人には慣れ親しんだ名前だ。ホーチミンは似つかわしくない。ロシアのサンクトペテルブルクペトログラードに代わり、更にロシア革命の、盟主レーニングラードに市名が変更されたが、今は又元の名前に戻っている。その町に住む人々にとっては、嘗ての名前に愛着があるのだろう。このサイゴンもいずれそうなるかも知れないし、共産党政権が続く限り、そうならないかも知れない。ハノイにはモスクワのレーニン病と同じような壮麗なホーチミン廟がある。

 

この街には今から10年ほど前に一度来ている。その一度きりだったから、それがサイゴン訪問の最初の最後だった。下町のプチホテル街に2泊した。今でもその場所に行けば、思い出すかも知れない。サイゴン、タンソンニャット空港は2度目だ。前回はダナンから国内線に乗って約50分、この空港に着いた。ベトナム戦争華やかし頃の米軍管轄下の空港ではあったが、その時は既に平和の空港で、戦争時の面影はどこにもなかった。成田から約6時間、サイゴンに到着した。前回は国内線で、空港を出たすぐの場所でタクシーを拾い、ミニホテルまで行ったが、今回は国際線。通関手続きがある。夜9時、到着便が集中しているのか、税関ではずらっと人が並んでいる。大半はベトナム人のようだ。乗ってきたJAL機も半分以上はべベトナム人だった。だが、機内アナウンスではベトナム語の案内はなかった。JALではまだベトナム人アテンダントを採用していないのかも知れない。

 

通関は簡単に済んだ。日本人パスポートで、他の人の半分以下のチェック時間。単独でこの時間、一般の観光客とは思わなかったかも知れない。税関員から「No Visa?」と聞かれたので、「Tourist,Sightseeinng」と答えたら、パンと入国スタンプを押され、パスポートを返されたが、この時間だから、何か仕事関係の人と思われたのかも知れない。ベトナムは15日未満であれば、ビザは必要ないのだ。先月新たに更新した10年パスポート。最初の頁にベトナムの通関印が押されることになった。

 

ワインも嬉しい。

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ああ、日本人大橋さんという人が仕込んだボルドーワインだ。

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いやー、通関は又すごい人の行列だ。

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