ちゃおチャオブログ

日々の連続

サイゴンの3日間(14)Cuchi トンネル司令部跡。

駐車場の前の建物はミニ博物館兼ショップになっていて、長い人工トンネルを出た先が林のフィールドになっている。

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林の中には、地下トンネル入り口が所々にある。

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入り口は、グリーンで巧妙にカモフラージュされている。

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サイゴンからマイクロバスで2時間弱、北へおよそ120-30キロの地点にCuchiトンネル要塞跡がある。ここはベトコンの最大拠点で、地下道をくぐって北からやってきたベトコン兵士がここに集結し、司令部としていた。毎年冬の季節、乾季がやってくるとこのトンネルを抜け出して地上戦に出て行ったのだが、ベトナム歴の旧正月、テトの期間だけは、一時的に戦争を休止し、短い期間であるが、平和を楽しんだ。そのテト休戦が北により突然に破られたのは、サイゴンが陥落する直前の冬だった。

 

大量の北ベトナム兵士がこの穴から一斉に抜け出し、蜂起し、南に向けて進軍を開始し、それから僅か数か月で南ベトナムは崩落した。混乱を極めたあっけない幕切れで、自分の知人の一人も当時日本大使館に勤務していたが、戦況が悪化し、砲弾が飛び交う中一時的に米国大使館へ避難し、それでもサイゴンが落ちる瞬間まで踏みとどまり、最後のヘリコプターでサイゴン沖合に停泊する米海軍艦艇に命からがら逃げ延びた、とのことである。寡黙な彼は、こうした経験を余り話したがらなかったが、興味本位の自分が漸く聞き出した戦争に伴う実録である。

 

そのCuchi司令部要塞跡に今来ている。大きな駐車場には既に沢山の車が駐車している。バスもいればマイクロも停まっている。人気の場所なのだ。駐車場の前にはエントランスを兼ねたミニ博物館があり、ベトコンが使っていた機関銃や、迫撃砲などが展示されている。機関銃は旧ソ連製のAK47、カラシニコフだ。AK47は性能の良い機関銃で、旧ソ連コミンテルンから世界中の共産ゲリラに配給され、西側陣営を苦しめた。ドライバー兼案内役のジョニーが熱心に説明している。英語の上手い青年で、ちなみに共産主義者かどうか聞いてみたら、違うと言っていた。北側の人間はともかく、南側のベトナム人には共産主義者は少ないのだろう。

 

ミニ博物館を出て、長い半地下の人工トンネルを通り過ぎた先がフィールドだ。灌木の中に穴が掘られていたり、タンクなども展示されている。Ventilationと言って、1m位の高さの蟻塚のような土饅頭が林の中にあちこちあって、それは巧妙に工作された地下トンネルの空気穴、換気孔とのこと。これでは米兵にも発見されないだろう。およそ後楽園の倍ほどの林の中を歩いて行って、最後に実射場に出る。パン、パンと間欠的に弾を打つ音が聞こえてくる。試射ボックスは20席位はあるのだが、3-4人しか撃っていない。試射料も1発の弾代も高いのだ。以前自分も2連発のRemingtonを持っていて千葉や山梨でクレー射撃をやったこともあったが、上手に皿に当たらず、当時のことを思い出した。ここの人達は正面の土手に向かって撃つだけだから、楽なものだ。

 

洞穴の中に入り込んだ観光客。

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かなり観光化されていて、昔の荒々しさは見えない。

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白人の観光客が多いが、中国系も時々いる。

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