ショロンのお寺はLucyさんにも直ぐ分かり、案内してもらった。
ここは中国人の作った、中国風のお寺だ。
10年ほど前に一度来ているが、当時と変わらない。
ベトナム戦争終結時、多くの難民がこの港町から国外逃亡を図った。所謂ボートピープルの類で、その多くは中国系が多かった。中国系は米軍と現地ベトナム人との中間搾取的な役割を果たしていて、国破れ、北の共産党からの厳しい追及から逃れるために、敢えて危険を冒しても南シナ海の荒波に漕ぎ出して行ったのだ。元々は潮州系の海洋種族、航海をひるむことはなかった。背に腹は代えられなかったのだ。だがその結果、何人のボートピープルが難破し、海の藻屑と消えていったかは知らない。
この港町が正しくはショロンと言うのか、チョロンと言うのか、自分には分からない。だから、Lucyさんにもチョロンと言ったり、ショロンと言ったりしたが、そのいずれも通じた。ショロンのお寺、と言っただけで、すぐ理解し、案内してくれたのだ。ここは前回の旅行で一度来ている。お寺の名前は憶えていないが、この街でこれ程大きな仏教寺院はこの寺しかないだろう。サイゴンに住むベトナム人なら、誰でも知っているだろう。実際、Lucyさんの宗教が何教かは聞いていないが、多くのベトナム人がそうであるように、多分仏教徒だろう。
殆どの日本人は知らないが、ベトナムは昔から大乗国である。同じインドシナ半島で、国境を隔てたカンボジア、ラオス、タイ等々は小乗、則ち上座部仏教国だが、このベトナムは最初から大乗で、この国の仏教伝来は西や南の国からではなく、北の中国から齎された。日本渡航を目指した鑑真和上が5回目の渡航の際、舟山沖で暴風雨に遭遇し、船は遥かベトナム沖まで流され、この時、現地のお寺でベトナム僧に助けられ、そのまま中国に連れ帰り、次の6回目の渡航で、遂に日本上陸を果たし、東大寺での開眼供養を執り行ったのだが、この時の陪僧がそのベトナム僧侶で、後年、鑑真は奈良西ノ京に唐招提寺を創建するのだが、鑑真亡き後この寺を継ぎ、2世和上となったのはこのベトナム僧だった。
ショロンのお寺、大乗とは言え、日本のお寺とは雰囲気がやや異なる。中国風、潮州海洋族が信仰する媽祖の色合いが濃い。マザーマリアならぬゴッドマーザー媽祖大神だ。元々ショロンは中国人が作った町で、街中には今でも多くの漢字の看板が目に付く。一旦逃げ去った中国系の人々も、再び故地に戻ってきているのだ。今はまだ嘗ての賑わいは失われたままのようだが、いずれこの街も輝きを取り戻すだろう。
10年前はタクシー代も安く、ここまでタクシーでやってきた。
海洋族の媽祖、馬頭観音等の影響を受けているに違いない。
大乗ではあるが、小乗の国で見られるような放鳥の習慣もあるようだ。