ちゃおチャオブログ

日々の連続

サイゴンの3日間(15)Cuchi,ベトコン司令部跡で。

林の中にはミーティングテントなどもある。

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こんな風に作戦会議でもやっていたのか・・。

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部外者、門外漢が一人・・。

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Cuchiの司令部跡は今は林に覆われているが、ベトナム戦争時にはどうだったのかは分からない。枯葉剤で丸裸にされていたかも知れないが、今は自然の林、ジャングルとまでは言えないが、密生した雑木林になっている。ここに北ベトナム正規軍が集結し、トンネル内に息を潜め、機を見て抜け出し、米軍、南ベトナム正規軍を悩ました。所謂ベトコン、Viet Nam コンサン(共産)のことだ。北のベトナムにより、南は所謂開放され、今この国は共産国家になっている。中国、ベトナムラオス共産国家だが、旅行者がこれ等の国を旅行する限りでは、共産国家だからといって大きな不便は感じないが、しかし、最近の中国では一般旅行者が明確な理由もなく、突然に逮捕、勾留される事例が頻発していて、安心できない。共産国家の怖さもある。

 

そうした林の中に集会テント、タンク、貯蔵穴、調理場、簡易医療施設などもあって、一つの組織的な機能を果たしていた。映画プラトーンでは米軍がナパーム弾を投下し、林の中でベトコンと米軍の銃撃戦が行われ、重武装ヘリが上空から銃撃し、危機に瀕した兵員を救出する。林の中を歩き、そんな映画の1シーンなども想像できた。トンネル作戦と言えば、日本軍はこれを塹壕戦術と言って、その最たるものは、栗林中将率いる硫黄島防衛軍で、島の北部、摺鉢山の中をハリネズミのように穴を張りめぐらし、艦砲射撃にもよく耐え、上陸してきた米軍に対し、縦横無尽の戦いを挑み、結果は矢弾尽きてほぼ玉砕したのだが、太平洋戦争中では米軍に最大の人的被害を与えた戦史に残る攻防戦だった。ベトコンはこの硫黄島攻防戦、或いはフランスマジノラインの塹壕を参考にし、圧倒的相手方戦力に対抗する為にトンネルの有用性に思い至ったものだった。そして遂には強敵米軍に打ち勝ったのだった。

 

林の一番奥に射撃場があり、射撃をする客の為に30分の休み時間があるが、かなり歩いてきたので、ここで一休みするのはありがたい。ビールを頼んだら、キオスクのおばちゃん、日本語で「40ドン」と言ってくる。自分の顔に日本人との印は付いていないのだが、どうして直ぐにも日本人と分かるのか、不思議でしょうがない。売店でお土産のベトコン帽を買って、さて、これからU-ターンして、帰りのジャングル遊歩道を歩き、元の入り口に向かった。

 

タンクも展示してある。

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タンクは米軍の戦利品だ。

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林の一番奥に射撃場があり、休憩センターにもなっている。20円の缶ビールで、一休み。

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