ちゃおチャオブログ

日々の連続

7.25(土・雨)終日雨。安楽死事件。

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人が生まれる時は天の采配のようなもので、自己の決定権はないが、生きるか死ぬか、死ぬ時に関しては、自己責任で決定できる。だから日本でも毎年自殺者は1万人以上はいる。自殺は倫理上は禁じられているが、刑法の処罰はない。自傷行為が罰せられないのと同様だ。

死にたい人は死ねばよい、と突っぱねるのは無責任で簡単だが、極力命は救わなければならない。特に人口減少下の日本では、そうしなければならない。

 

宗教上死にたくても自殺できない宗教もある。キリスト教などは自殺を禁じている。一方で、自殺ではないがジハードなどは進んで命を捧げる。戦中の特攻隊などもそれに似ている。命の価値を個人的なものに置くか、社会的なものに高めるか、その違いでもって、個人よりも社会を優先した結果だ。勿論、ジハードにしても特攻隊員にしても選ばれた本人は不本意だろうが、そうした個人的な不本意は社会が許さない。

死ぬことに関して個人に決定権が与えられている現代社会でも、キリスト教の倫理では自殺は禁じられている。自殺したくても、出来ないのだ。そうしたキリスト教社会で生まれてきたのが安楽死の問題で、自己の死を決定しても自殺できない個人は、誰か他者にお願いして殺してもらう以外に死ぬ手段はない。西欧社会で安楽死が法制化され、一部の国では合法化もされてきたが、キリスト教国ではそうした背景があった。

以前NHKでスイスの安楽死組織が放映され、末期状態の日本人もかなりのお金を払って、安楽死させてもらったが、スイスではそれは罪にならず、ビジネスとして成り立っている。

今回の京都51歳女性の安楽死。昨日嘱託殺人罪で逮捕された二人の医師に謝礼金を130万円支払ったとのことだが、彼女にもっとお金があれば、スイスへ行って合法的に安楽死を選んだかも知れない。

ALSで日々衰えて行く肉体。将来的に助かる見込みは全くない。将来今以上に悲惨になり、今以上に衰えて行く自身を許容できず、嘱託殺人を願った結果だったが、それは間違っている。彼女がキリスト教者でなければ、自身で自決もできたのだ。今回の死の方法は多量の睡眠薬を飲んで死んだことだが、睡眠薬自殺は、自殺者年間1万数千人の中には相当数あるだろう。何故彼女はそうしなかったのか・・。単に自殺ではなく、死の美化、名誉心・・、そうした人知れず死んでいくことに抵抗感があって、二人の医師を巻き込んだことになったのではないのか・・。

ホーキンス博士も同じような病気で、車椅子と目の動きで、亡くなる直前まで社会活動し、70数歳の寿命を全うした。彼女は同志社を出て、米国の大学まで留学した頭の良い女性だっと聞く。このALSに関しての知識も豊富だたっと言う。彼女にホーキンス博士のような生き方は出来なかったのか。

いずれにしても、これから高齢化が進む日本社会。安楽死、自然死問題の法整備、検討は進めて行くべきだ。彼女もそうした意味からの論議喚起の一石を投じたのかも知れない。

 

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