ちゃおチャオブログ

日々の連続

愛媛(伊予一国)ドライブ巡礼(55)松山大街通アーケードを見て、タクシーで帰館。

食堂から戻ると流石に先刻の老女は足湯には浸かっていなかった。

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道後温泉駅の近くには昔の汽車が展示してあった。

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坊ちゃん電車と言うようだ。

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駅の近くにはこうした昔の旅館なのか、地主の家なのかが建っていた。

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大街通で下車し、アーケードを歩くが、多くの店舗がシャッターを下ろしていた。

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道後温泉アーケード街の出口付近にあった和定食食堂で夕食を終え、又路面電車に乗って、最初乗って来た場所大街通アーケード街を覗いてみることにした。この町一番の繁華街。夜の顔はどんなもか見てみたかった。食堂から道後温泉駅まではロータリーを挟んだ直ぐの場所にあり、時計塔の下の足湯を覗いてみたら、流石に先刻の老女は既に帰ってしまって、今は無人で、温水だけが流れ落ちていた。駅の近くには又昔使っていた坊ちゃん電車が展示されていて、漱石もこんな電車に乗って、市内をあちこち移動していたのかと、明治は遠くなった筈なのに、100年の歳月は一気に縮んだ。

旧式汽車を眺めている内に路面電車がやってきて、乗車する。先刻はそれでも4-5人の乗客がいたが、今の時間自分を入れても三人程度。3-4つの停留所を過ぎて、次は大街通との案内で、ベルを押すと、チン、となって、停車する。この錫のベルのようなチンは、全国路面電車に共通だ。昔は東京の早稲田ー三ノ輪線でも同じようにチンと鳴っていたが、この路線はもう何年も前からジーゼルではなく電化して、チンの代わりに無機質なブザー音に変わってしまった。2年前御徒町からスタートして、山手線内をぐるっと歩いて1周したとき、この三ノ輪の区間だけ電車に乗ったので、それを知っている。だから東京を走る路面電車は今ではチンチン電車とは呼ばれない。

少しどこか飲み屋でもあるかと大街通を歩いたが、それ程遅くもないこの時間帯で既に大半の店舗がシャッターを下ろし、人通りもまばらだ。歩いていたり屯している人は大学生か若者だけで、サラリーマン風の人や家族連れは見られない。コロナが街の顔をも変えているのだろう。尤も消費冷えは今に始まったことではなく、コロナ以前から地方のデパートはバタバタ閉店の憂き目に遭っていて、このアーケード街にも三越の見慣れた看板が出ているが、ここも何時まで持つだろうか・・。

飲み屋と言っても魚民とか村さ来のチェーン店で、和民でもあれば入ってみようかと思ったが、この界隈には無さそうで、道路の反対側、以前あった愚陀仏庵が今はどうなっているか、見に行った処、今は全く影も形もない。以前は路面電車からでも少し高台に建っている木造2階建ての建物が見えたのだが、今はその場所に見慣れぬ洋館が建っている。歩いている人何人かに愚陀仏庵と聞いてみても、知っている人はいない。もう30年も前の話だ。その間、豪雨災害で元のロープウエイも崩れてしまって、今日利用した全く別の場所に再建された。ましてや100年の前の漱石、子規の頃の話を知っている人など、殆ど好事家の部類に入るだろう。

兎も角元あった場所と思われる所に行くと、萬翠荘という、どこか欧州から持ってきた様な麗々しい洋館が建っていて、案内を読むと、松山藩主久松候の子孫が大正時代に建てたものを、ここに移築し、現在は重要文化財建造物になっているとの事。あの杉板の2階家、丁度水戸偕楽園にある木造2階建ての好文亭と同じような造りの、如何にも貧しい時代を代表するような和風建物が、今では驚くほどの見栄えの良い洋館に様変わりしている。漱石も墓場の陰でほほ笑んでいるだろう。

そのロープウエイ発着所のあった場所には今では随分大きなビルがデンと構えていて、見ると、ここが有名な坂の上ミュージアムとのことである。そうか、松山で売り物と言ったら3つ4つしか無いのだ。松山城道後温泉漱石に子規と、この司馬遼太郎坂の上の雲、秋山兄弟、あそうそう、もう一つ、タルトもあった。萬翠荘ミュージアムも既に閉館して入れない。今日は相当に歩いて、足も疲れた。タクシーでホテルに戻ることにした。初老の運転手、コロナ禍で売り上げが激減、普段の3割以下、月4-5万にしかならないとぼやいていた。自分はもう年寄りでお金もかからないから良いが、若い運転手では、やっていけない。仕事を替えるにしても仕事はないし・・。本当に困った状態だ。矢張り観光客がやってこないと町が死んでしまう・・。困った、困った、自分は大変ですね、大変ですねえ、と言葉をかける以外に答えようがなかった。

 

  • 三越もあったが、このコロナ禍で、いつまで持つか・・。

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    • 漱石の住んでいた愚陀仏庵は今は跡形もなく、純欧州風の洋館が建っていた。

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      • 萬翠荘と言って、重文建物に指定されている。

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        以前のロープウエイ駅は、随分大きな建物に代わっていた。坂の上ミュージアムと書いてあった。

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