時間も5時近くになり、一人で展望台にいるのも淋しくなり、市内に戻ることにする。
この瀬戸内の海を次に見るのは、どこで、いつになるだろうか・・。
遠くに熟田津の半島も見える。
近くには海峡大橋を渡るサイクリングレクの施設もある。
一旦ホテル海舟亭にチェックインする。部屋は和室だ。
6月下旬の今頃の季節は昼間が一番長い。しまなみ海峡大橋を眺め、港近くのホテルに戻ったが時間はまだ5時を回ったばかり。空はまだ昼間の明るさだ。ホテルは今治フェリーターミナルの前にあり、交差点の向こうにはレンガ色の港交番がある。中に警察官がいるのかいないのか、事件の殆どない田舎町、海の事故さえなければ、いつも暇にしているのだろう。警察官が暇なのは、平和な国の象徴だ。ただ海はいつ荒れるか分からないし、不測の事故には備えなければならない。だから、今まで見てきた港、宇和島も八幡浜も松山もこの今治も、港の目立つ所に交番が建っている。事件、事故がなくてもそれに備える。日本の先進性の一面だ。
5時過ぎても外はまだ明るい。港周辺を散歩する。正面のフェリーターミナルを中心に海に向かって右手が今治城下の旧漁港、左側が後からできた漁港。このターミナルは海を埋め立てて建設されている。従って新港と言えるだろう。丁度松山新港と同じで、ターミナルビルも同じ頃、バブル華やかな頃に建設されたに違いない。大きさは今治の方がやや小さい感じだが、見た感じは一見、海に面して細長い2階建てで、そっくりだ。こんな処にも今治が松山に張り合っているとしか思えない。江戸時代から続く地元民の対抗心・・・。しかし松山新港は石崎海運が中心になって運営されているが、こちら今治はどこの会社かは分からない。
もう運行時間は終了し、ターミナルの小さなロビーはガランとしている。どこかで守衛がモニターテレビを見ているだろうが、ロビーには係員もいない。コロナ禍でフェリーの本数も少なく、乗客も少ないに違いない。嘗ては賑わっていただろう。道路を隔てた向かいには数軒の飲み屋やスナックも見えるが、シャッターは降ろされたままだ。海事測量会社の看板も見えるが、松山新港で見た石崎海運のような大きな海運会社の看板も見えない。ネオンが点灯されていないホテルの看板も数軒見えるが、果たして今日び営業しているかどうか・・。その一角に自分の今晩の宿屋、海舟亭の看板も見える。今晩の宿泊者は自分一人のようだ。フェリーもホテルも何もかにも、コロナは社会を破壊している。
2階の窓の外に港の交番が見える。暇そうだ。
今治フェリーターミナル。1階ロビーには誰もいない。