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日々の連続

愛媛(伊予一国)ドライブ巡礼(75)次の霊場第六十三番吉祥寺に参拝。

次にやって来たのは、国道沿いにある吉祥寺。

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  • 町中にあるお寺で、境内はそれ程?六はない。

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  • 大きな石柱だ。

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  • 本堂。

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  • 吉祥寺本堂。ご本尊は毘沙門天だ。

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  • 今期巡礼もいよいよ残り3つとなった。宝寿寺からは国道11号線沿いの両側に住宅の立ち並ぶ道路を通って、第六十三番吉祥寺に向かう。この国道沿いには何故か歩き遍路の姿が目立つ。石鎚山の高い山中の寺、横峰寺から下り降り平らな平地の道路で、足取りも軽そうだ。吉祥寺は東京郊外にも同名のお洒落な町があり、自分の住む小金井はその隣接地区になるが、この町には五日市街道沿いに武蔵野八幡宮というかなり大きな神社はあるが、吉祥寺という名前のお寺はない。


この町が吉祥寺と呼ばれるようになったのは、江戸時代の明暦の大火によって、本郷にあった吉祥寺門前町が全滅し、そこの住人がまとまってこの地に移住してきて、新田開発、農地開墾に努力し、今見るような街の基礎を作ったからである。嘗て東京本郷にあった吉祥寺がどれ程大きなお寺だったのか、想像もできないが、門前町を形成していた位だから、それなりの規模のお寺であったに違いない。

東京吉祥寺の由来はそういうことだが、吉祥寺若しくは吉祥院は瑞兆を思わせる有難い名前であり、全国には相当な数のお寺があるだろう。ここ伊予の吉祥寺は平坦な国道を少し進んだ先、人家がやや密集しているその左手に本寺があった。お寺から少し離れた場所に駐車場があり、農協支店の前を通り、寺の横門から入山する。住宅地の中にあるお寺、境内はそれ程広くはなく、コンパクトに纏まっている感じだ。戦国以前のお寺はここから2キロ程離れた山中にあり、広大な敷地の中に数多くの塔頭を抱えていたようだが、秀吉の四国攻めの際に、全てを焼く払われ、江戸時代になって、末寺だったこの場所に移転し、現在に至っているとのこおtである。

弘法大師創建の寺は、行基菩薩と比べると極く少ないが、この寺は数少ない大師創建の寺である。四国巡錫中のこの地(元の坂元山中)に霊気を感じ、光りを放つ檜に毘沙門天を彫り、ご本尊としたとのことである。その脇侍として吉祥天蔵と善膩師童子像を彫って、人民の救済を祈願したと伝えられている。この毘沙門天、この寺では毘沙聞天の漢字を使用しているが、四国八十八ケ寺の中で、ご本尊とするのはこの寺だけである。大阪に聖徳太子創建の四天王寺があるが、この仏法の守護、四天王の一人に多聞天がいるが、この多聞天は即ち毘沙門天のことである。

町中のお寺、と言った雰囲気もあるが、それでも大師以来の長い歴史と伝統もあり、境内には潜り吉祥天女の像があり、石造の下を潜り抜けると、貧苦が取り除かれ、富貴が齎される、との言い伝えもあり、自分もそれに誤って、やや頭を下げて、潜り抜けた。今まで十分貧苦からは免れているが、願わくば、更なる富貴を! この寺に似合った小さな水盤に蓮の花が綺麗に咲いていた。自分の欲得をたしなめているようだった。

 

大師堂。この寺は大師創建のお寺だ。

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大師堂はやや小ぶり。

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  • 鐘楼。

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    • 福寿閣か・・。

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      境内の水盤には蓮の花が綺麗に咲いていた。

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