ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場最後の巡礼(23)金比羅宮に参拝後、下山する。

陽が登り、漸く周囲が見えるようになった。先刻の若い女性はまだ何かを願っている。

f:id:commodore:20201211202359j:plain

本宮内部はまだなお暗く幽玄だ。

f:id:commodore:20201211202445j:plain

本宮周囲には幾つかの摂社もある。

f:id:commodore:20201211202532j:plain

いつの建造か・・。ここは長曾我部の焼き討ちには合わなかったようだ。

f:id:commodore:20201211202625j:plain

楽殿などもある。

f:id:commodore:20201211202714j:plain

 

金比羅宮のある象頭山は標高500m強の山で、首都圏で言えば自分の良く行く八王子城址の400m強、その隣の高尾山の600m弱からすると、この二つの山の中間位の高さの山だ。金比羅奥の院はこの山頂近くにあるが、行ったことがないので、どの辺りにあるのかは分からない。誰が何時頃このような象の頭と言った名前を付けたのかは知らないが、瀬戸内の海上を航行する船から見ると、頭の山頂部分が平らになっていて、象の頭のように見えるから、とどこかで聞いたこともある。又一説によれば、お釈迦さんがインド中部の伽耶山で説教し、その山が現地語で象頭山と呼ばれていて、その山容がこの琴平の山と似ているから付けられた、とも言われているが、誰が何時名付けたかは明確になっていない。

 

昔の人は象の姿など見たことは無く、漸く江戸時代に入ってからジャワのバタビア総督が徳川将軍に献上したのが、庶民が目にした最初ではないかと思う。ただ、留学僧は奈良時代から唐に派遣されていて、世界の文物が集まってきていた大唐長安の都では或いは見る機会もあったかも知れない。本物は見ていなくても、少なくとも絵画、彫刻等で、象に乗った来迎図とか、守護象などは見ていたと思われる。この山を最初に象頭山命名したのは空海という定説はないが、空海でないにしても、そうした象の実際を目撃している留学層の誰かではないと思う。

 

本宮は標高200m強の場所にあり、八王子城址と比べてもそれ程高くはないが、周辺が海に近い平野になっていて、本宮横の見晴らし台からの眺望は抜群だ。前方に讃岐富士が見え、更にその先には目を凝らせば、瀬戸内自動車道も見えなくもない。以前来た時はこの超大橋はまだ出来ていなかった。だから、本宮からの眺めで、目に焼き付いているのは讃岐富士だけだった。

 

後ろ姿で判然とはしないが、先ほどの周囲がまだ暗いうちからずっと本宮の階の上段に上がって首を垂れて一心に祈っている若い女性がいる。この宮は海の守り神として有名で、全国の海運関係者、戦前の海軍、戦後の海自等々、海に係わりのある人々の崇拝を集めている。こんぴら丸という船の名前にもなっている。陽が登り、周囲が明るくなった今もなお祈り続けている。海の関係者の恋人か奥さんか・・。永らく航海の安全を願っているに違いない。

 

海の宮だけあって、絵馬や奉納品も海事関係が多い。漁師や海運関係者など、新造船があると供物や幣帛を奉納する。全国に600社ほどある琴平神社金毘羅神社総本宮だ。建物も大きく、重々しく、歴史を感ずる。本宮の裏に回ったら、サントリーが奉納したのか缶ビールモルツのアルミ缶だけで作ったボートも奉納されていた。清水の次郎長駿河湾の清水港を根城にした沖中やくざの総元締めだったが、その代貸し森の石松が次郎長代参でこの宮にやって来た時は何を奉納したのか・・。浪曲に詳しくないので、石松が琴平温泉のどこに泊まったかも知らないが、ひょっとして自分が泊まった八千代館かも知れない。そんなこんな想像を膨らませながら、再び785段の石段を一つづづ下り降りた。

 

摂社とは長い渡り廊下で結ばれている。

f:id:commodore:20201211202904j:plain

本殿が廊下の向こうに見える。

f:id:commodore:20201211202947j:plain

裏側には海事関係者からの奉納品が掲げられている。

f:id:commodore:20201211203049j:plain

サントリーモルツの缶ビールで作ったボートも奉納されている。

f:id:commodore:20201211203128j:plain

さて又785段の石段を下り降りなければ・・。

f:id:commodore:20201211203208j:plain