本宮から下り専用の参道を降りた直ぐの場所に旭社がある。綺麗な建物だ。
以前はこの表書院に寄って、円山応挙の襖絵も見ることができたが、今日は時間もなく、パスした。
以前はこの参道を沢山の人が上り下りしていた。中に混じって駕籠かきなどもいた。
この鳥居も昔からこの場所にあった。
宝物館は今はコンクリの建物になっている。
日本全国のお宮さん、お寺さんを知っている訳ではないが、自分の考えでは、多分この金比羅宮の石段が日本一の長さではないかと思う。伏見稲荷とか、津和野の太鼓谷神社もこれ程長いことはなかった。登るときは途中で何回か登るのを諦めようとしたが、ここまで来た以上途中放棄はないだろうと頑張り、最後の本宮まで登った。奥の院は更にこの先数百段の階段が続いているが、最初からそれは問題外だった。仮に十分な時間があったとしても、今の足の状態では諦めざるを得ない。本宮までの石段で785段、奥の院までの合計は1368段と案内されているから、本宮からは更に500段以上を上らなければならない。
今から思うと、中国山東省にある泰山に登ったのは11年前の2009年3月のことだ。泰山は中国道教の聖地で、高さは1500mを超えているが、そこは全国から多数の中国人が参拝にきていて、麓の第1段から数えてずっと山頂近くの南大門まで果てし無い数の石段が作られている。石段の数が何段あるのかは知らないが、この金比羅宮とは比較にならない程沢山の石段があった。自分も当時は足も元気で、泰安村のホテルの横の石段、第一歩から登って行った。今日この金比羅宮の石段を登っていて、そんな当時のことも思い出したりしたが、それはもう遠い昔の話になっている。
今朝時間が早く扉が閉まっていた大門までの石段の途中にはいろいろな摂社が祀られている。参詣者の混雑を回避するため、後から下山専用階段が作られ、旭社から先は登り下りが一方通行になっているが、以前からあった登り専用の参道の両側にはそれ等の摂社が鎮座している。登って来た時はまだ薄暗く、写真撮影ができず帰りに撮る積りでいたら、下り専用参道は真っすぐ旭社に下り降りた。朝真っ暗な中に丸金の大提灯が浮かんでいたが、それは旭社で、今明るい中で見ると、この建物も立派だ。江戸時代中期、天保の時代に建造されたもので、一説によれば森の石松はこの建物を本宮と錯覚し、ここで引き返したとの真偽不明の話もある。
以前来た時は途中の表書院に寄って、円山応挙の襖絵なども見たが、今日は時間もなく、又、9時の開館までには相当の時間待たなければならず、そのまままっ直ぐそのまま下り降りた。途中の石段に数人セミプロのような写真家集団がいて、何の写真を撮っているのか聞いてみた処、猫の写真とのことだった。それは白い猫で、放し飼いのようにも見えたが、何か宮に所縁のある珍しい猫かも知れない。皆猫を追いかけるのに忙しそうにしていたので、その理由を聞くのは憚れた。
朝閉まっていた大門。以前はこの門の内側に、沢山の屋台が立ち並んでいた。
朝、開門を待った大門。
大門の前から琴平の街並みを見る。
猫の写真を撮っている写真家の一団。
自分が見た限りでは普通にいる猫のようだったが・・。