ちゃおチャオブログ

日々の連続

1.2(土・晴れ)日の丸文化の衰退と新常識。

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今の日本から日の丸が消えてしまった。昔は休日を旗日と言って、各家庭で日の丸を掲揚していたが、今は休日が増えすぎて、旗日とは言わず、公休日とか単に休日、或いは法律で休みをくっ付け、○○連休、と呼んでいる。旗日という言葉が死語になるとともに、各家庭からの日の丸も消えてしまった。建国記念日ですら、日の丸を挙げている家庭は極わずか、町内に1軒あるかなきかだ。日の丸に込める国を思う心、国に対する敬意、敬慕、国家と同体との思いは、家庭から日の丸が消えるとともに、希薄になってきた。一体、今町内で何軒の家が日の丸を持っているだろうか・・。

戦後75年経って、とうとう日本は日の丸国家から漂流してしまった。サッカー、五輪、大相撲、等々の国際競技の場では、日の丸掲揚に涙を流す人もいろだろうが、それはそうしたイベント限りの愛国心だ。普段は国家が無視されている。いつの間にか、日本から日の丸文化が消えてしまっった。

今日は近くの須賀神社にお参りに行ったが、この由緒ある神社にも日の丸はなかった。今は日の丸がないことが常識になったのか・・。

夜埼玉より帰宅。電車に乗ると、乗客全員がマスクをしている。していない人はいない。法律で強制されている訳ではないが今は、町を歩くときにマスクをするのが常識になっている。コンビニやスーパーに入って、マスクをしていないと、村八分ではないが、変な目で見られるだろう。或いは、敬遠されるか。

野川のような広い公園ならマスクなどいらないだろうと、自分はいつもマスクなしで公園に行っているが、それは少数派で、ごく少数。ほぼ100人中98人はマスクをしている。公園で遊ぶ時くらいマスクなしで遊んだら良いと思うのだが、これも又同調圧力か。自分だけしていないのは変な目で見られると。困ったものだ。

このコロナ禍、いつまで続くか分からないが、コロナが収まるまで、日本人とマスク、が新常識になってしまった。村八分にされない為にも、うっかり忘れることは出来ない。日本人がどうしてこんな風な人種になってしまったのか、自分には分からない。

 

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