ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場最後の巡礼(68)高松・栗林公園にて。

栗林公園は広大で、とても全部は見切れない。

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借景の紫雲山も庭園にマッチしている。

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コロナ禍で入園者は少ないが、よく手入れされた公園だ。

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古い時代の瓦や建物土台なども展示してあった。

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池が幾つかあって、鴨池に向かう。

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関東地方に住んでいて、四国方面に馴染みのない人に取っては、高松の名園、この「栗林公園」については、余り知らないかも知れない。これは昨日もブログに書いておいたが、日本を代表する大名庭園の一つで、池有り、築山ありの日本の風景を縮図にしたような大名庭園は、その限りで言えば大名のままごと遊びとも言えないこともないが、実はもっと深く、一旦は途切れたかと思えた平安時代の池泉庭園、平安貴族が池に舟を浮かべ、和歌や酒宴を楽しんでいたその当時の優雅な遊びを平和が戻った江戸時代に、先祖返りのように各地有力な大名が遊び心で取り入れたのではないかと思う。

 

小堀遠州は江戸時代初期に活躍した著名な作庭家であり、且つ彼自身も大名であったが、彼の庭造りはどちらかと言うとコンパクトなもので、昨日のブログに挙げた各地の大大名の庭園と比べると、かなりこじんまりとしたものになっている。特にここ栗林公園では他には見られない実際の山、紫雲山を庭の中に取り入れていて、金閣寺銀閣寺の築山、醍醐寺上醍醐と比べても、その雄大さは比較外の大きさだ。

 

関東人にとって「栗林」は硫黄島で壮絶な最期、守備隊全員玉砕を遂げた栗林中将を思い出すが、ここは人の名前ではなく、「りつりん公園」と呼ばれる。「栗」を「りつ」と音読みするのは「慄然」、「戦慄」等の用法があるが、音読みは立心片が無くても同じである。栗林家の家名も栗の林も「くりばやし」と読むが、ここ高松の公園は昔から「りつりん」と音読みで呼ばれている。その理由は何故かは自分には分からない。いずれにしてもここは「くりばやし公園」とは呼ばれていない。

 

この庭園は江戸時代の初め、水戸徳川家初代藩主の長男が訳あってこの地高松に分家し、爾来明治ご一新まで高松松平家として存続したが、その初代高松藩主の頃作庭が始められた。この初代藩主は水戸光圀、即ち黄門さんの兄に当たり、この地にやってくる以前の水戸の庭園、偕楽園を偲び、このような広大な庭を造ったのではないかと思う。水戸偕楽園には千波湖という広大な湖があるが、ここ栗林にはその大きな湖の代わりに山を配したとか・・。

 

広い園内には幾つもの池があり、築山があり、梅園などもあるが、名前の由来となっている栗の林は見当たらない。又、お土産も和三盆はあっても栗羊羹はない。矢張りこの公園の名前と栗の実とは直接関係ないのかも知れない。尤も、栗羊羹については、昨日既に八栗寺ケーブル駅の売店で買ってあるので、改めてここで買う必要はないのだが・・。栗の代わりにこの庭園で目を引いたのは、真鴨であり、鮮やかな深緑青の姿は、東京近辺でよく見られるカルガモと比べたら、真に鴨の王様のような美しさだった。江戸時代、この池はお狩場で、藩主の鴨猟が行われていたとの案内板であるが、その当時から飛来していた真鴨の群れは400年経った今も同様に冬になったら飛来してくるのか・・。カラスが鳴くのはカラスの勝手、主が無くとも梅は咲く。この庭園の主は150年程も前にここから去って行ったが、鴨は変わらずやってくる。暫く真鴨に見とれ、今日のホテルに向かった。

 

綺麗な池だ。春夏秋冬楽しめそうだ。

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ああ、鴨が泳いでいる。

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真鴨だ! 本当に綺麗な色をひている。

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ツワブキの花も今が満開。

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出口付近に園内の案内板があった。広い庭園だ。

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