ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(15)金剛峯寺を尋ねる。

山上の町、真夏でも花が綺麗に咲いている。

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町のメインの大通りは車は通っているが、歩行者は殆ど見られない。

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多くの商店もシャッターが閉じたままだ。

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まに殿風の民間博物館。この建物は以前来た時の見覚えがある。今日は(も)休館だ。

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宿坊「清浄心院」の部屋は落ち着いた和室二間続きで、以前羽黒山の宿坊で泊った時のような板床の上にマットと布団を敷いたような、本当に山小屋のような宿坊とは違って、少しお洒落な旅館風でもあり、矢張り相応の宿泊代が請求されるのは理解できた。夕食が5時半~6時からとのことで、夕食までの間2時間ほどの空き時間もあり、高野山街中の観光散歩に出ることにした。取り敢えずは金剛峰寺を目指した。

考えてみれば30数年前、この町にやって来たのは、本当に時間のない中、奥の院に参詣することが目的で、ケーブルカー高野山駅からタクシーで奥の院まで来て、御廟に参拝した後、すぐ又タクシーで駅までとんぼ返りし、この町の観光はしていなかった。その後橋本に出て、和歌山には戻らず、五条線に乗って今度は逆の方向の奈良に向かった。あの頃は歳も若く、行動的で、今の自分から見ると遥かにエネルギッシュだった。

今日は十分時間はある。ゆっくり歩いて見て回ろう。「清浄心院」を出たところが大通りの県道になっていて、車は頻繁に通るが、歩行者は殆ど見かけない。奥の院へ参詣に来た人々は、車でやってきて、お参りが済めば、又車でどこかへ行ってしまうのだろ。町のメインの通りで、通りの両側には大きなお寺が何ケ寺かあって、それぞれが宿坊を有しているようだが、人が出入りする姿は見えない。通りの土産店も大半がシャッターを下ろし、開いているのは数える程だ。土産店が多いが、コロナ感染で物見遊山の客などは激減しているに違いない。

大通りを歩いて300-400m程、最初の交差点に出て、ここにこの町の唯一の信号機が設置されている。今のこのコロナ禍で、信号機を置くほどの交通量はないが、本来の観光シーズンには車で渋滞するのかも知れない。この交差点を右に曲がるとケーブル駅方面、真っすぐ行くと大門で、大門に向かって200m程進むと金剛峰寺に出る。金剛峰寺山門前の入り口で、数十人の高校生がガイドの説明を聞いている。これからお寺参りする予定のようだ。こうしたコロナ下でも修学旅行は欠かせないものだろう。お金も積み立ててあるし、みしも真言宗系の学校の生徒なら、親も子も先生も、こんな程度のコロナには負けてはいられない、との思いだろう。その団体が山門に入って行くのにつられるようにして、自分も山門を潜って、山内に入山した。

 

  • 町の唯一の交差点から200m程先に人だかりがしている。金剛峰寺の山門前だ。

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    さて、自分も参内しよう。

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    どこかの高校の修学旅行生のようだ。このコロナ禍でも頑張っている。

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    こちらは東門だ。

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